2009-12-16

徒然

色々わかんないことばっかりある。
迷ってもいる。

今日は西谷修先生の授業で、メディアの偏向性について考えた。
メディアとは常にそのジオポリティクスに左右され、その偏りは「メディア(ここでいうメディアは報道かそれに近い)とは中立や客観性を帯びつつも主観である」といった言説以上のものだと。その認識の上にたってメディアをみるべきだと。
彼の授業は、日に日に過激さを増しているように思えるが、それだけにすごく面白い。

オバマのノーベル平和賞受賞演説も面白い。
超大国アメリカの大統領として、二つの戦争の当事者である彼がいかにその批判に回答するかが問われたわけだが、若干拍子抜けした。もちろん、大統領としての立場があり、自国の兵が多く犠牲になっている(もちろんイラクではイラク人がそれ以上に無残に殺されているわけだが)ことへの配慮などをする必要があるから、あまり「平和」に対する彼の意見を述べることのできる状況ではなかった。
演説は評価できないけど、彼の葛藤はなんだかちょっと垣間見た気がした。そんなのないかもしれないけど。


昨日は、ふたご座の流星群を学校帰りの東八道路の歩道橋からみた。
あまりに綺麗だったので、一人でわーわー叫んでしまった。ケニアの星空を思い出す。
直前に図書館でほぼ完成していたレポートが強制終了されてしまったことなど、吹っ飛んだ。

最近は、ある人のことばかり考える。
こんなにずっと思い続けるのは人生初かもしれない。
チャーミングで、まっすぐで、人間っぽい彼女の目に、完全に魅了されてしまった。


人生において重要な決断を前にして、今の僕は慌てふためき、悩み、迷う。
選択することがこんなに苦しいなんて、残念だ。
光は確かに存在するはずだし、夢だってあるはずだし、それに向かうためのステップを今踏めばいいはずなのに。
覚悟しよう、その強さを持とう、と自分に言い聞かせてここ一ヶ月。
まだまだ甘ったれの自分から抜け出せずにいる。



世界はパラドックスに満ちている。
このパラドックスを咀嚼する力を、すなわち考える力を、そしてそれを行動に移し完遂する力を。

さ、消えたレポートをもう一度作るところからだ。

2009-11-25

香港



香港に行く機会がたまたまでき、留学中の友に会う目的もあって行ってきた。
なんとなく、他人のブログを読んでいて自分も書きたい気持ちになったので、ちょっと思ったことをば。

様々な光に満ち溢れた街のなかで、当然のごとく影の存在も本当に少しだが垣間見ることができた。
到着と共に巨大なビル群の洗礼を受け、これでもかというほどのビルの林立感は正直恐怖さえ感じるほどだった。

現地人も近づかないというバックパッカー御用達の重慶マンションに僕らは宿泊。インド人や黒人たちが周りで談笑しているのが印象的だ。

香港では、障害者や老人の物乞いはところどころで見受けられたが、東京にみられるようなトンネルや橋の下ホームレスはいなかった。
しかし、香港にそびえる巨大なビルの気づかないような細い谷間で、彼らは生きていた。彼らは、掃除夫としてビルの管理をし、夜はその谷間の寝床について暮らしている。


香港はもともと漁師の町だった。香港と聞くとかなりの大都会を想像するが、領域内に230ほどの島々を抱えていることからもわかるように、自然にあふれた地域もかなりあるようだ。僕はその一つ、LAMMA ISLANDという比較的大きな島に行った。そこには、蛋民と呼ばれる人たちがいた。彼らはいまだに水上での生活を続けている。


他にも、留学中の我が友に聞くところによると、この蛋民を政府は湾岸地帯に巨大な団地群を立て続けることで陸に上がらせようとしているらしい。蛋民の人たちの波止場には、小さな屋台がいくつか並び優しい明かりを灯している。それに癒された一観光客としては、なんともはがゆい思いがする。
香港の光と影。

一体、どちらが光でどちらが影なのか。そもそも光と影という2元的な表現自体、無理があるのか。
きっと小さくとも人によって求める光は違うはずだ。僕にとっての光は何なんだ。僕にとっての光は、僕にとっての真実。そう、人間臭さや迷いが混在していて、わかりにくくて一見矛盾してたりもするもの。それが僕にとっての真実。そうか、色々なものが混在する香港という街全体が、もしかしたら僕にとっての光なのかもしれない。そして、同じことが影についてもいえるんだろう。

にしても、カタカナを訂正できる人は香港にさえいないのだろうか。まぁ面白いから全然いーけど。笑


2009-11-11

unite!

久しぶりに更新だ!!

great dictator charlie chaplin


すげー。まったく正しいと思う。
でも民主主義のリーダーたちが同じことをいうと、すげーウソっぽく聞こえてしまうのはどうしてだろう。
その時点で、すでにこのチャップリンの演説も破綻しているのかもしれない。

結局、僕たちは富や権力や憎悪や不安に打ち勝てるほど強くないのであって、それはまず認めなければならないよね。
それを認めたうえでの希望をみたいというのは、ちょっと厚かましすぎるのかな?

富や権力や憎悪や不安、そういったものに打ち勝ち、人々の思いを的確にrepresentativeたりうるもの。
サイードは、そういう人間が知識人だという。
知識人は社会の根底にあるものを指摘し、表出しない人々の奥底の思いというものを表現する。
そして共同体に所属しながらも、それを否定し続ける。かっけー

知識人の定義って確かになんとなくこんなんであってほしいって思うけど、現実の社会にあって、
こんな人100年に一度、多くたって10年に1度くらいなものな気がする。

金と名声が大手をふるって歩く今、どうしてこんな生き方ができようか。
人間はビビりだし、怠けるし、憎んだりもする。そんで後悔する。弱い。笑い
それを乗り越えるために、人助けして、金追いかけて、勉強するんだろう。

機械になってしまう人間を否定してはいけない。
知識人になれないことを否定してはいけない。

じゃー何でもアリの社会が正しいのか。
うーん。

僕が思う社会の理想って、やっぱり「カオス」だな。
機械になるな!って言う人がいて、機械でもいいじゃないか!って言う人がいて、どーでもいいって言う人がいて、わかんねー!って悩む人いて、
っていう混乱。
それらがMIXYな感じでグチャグチャなら、(ある程度の抑止力があれば)戦争にもならないしさ。
言いたいこと、自分が思った真実を口にできるって、貴重で超重要なことなんだ。
さらに、自分の生きたいようにまぁある程度はできることも。
うん、戦後の日本人はよく頑張ってくれた!GHQとかも!
きっと、幸せな時代に生まれたんだろうな。おじいちゃんとご先祖様に感謝しなきゃ。

あれ?
結局何がいいたいんだっけ?笑

そーだ。俺、就活を自分がすることに対する正当性を自分に主張したいんだった!笑

ビバ!カオス!!

2009-08-15

政治所感

政治は何のためにあるか?国家を維持するため。

国家は何のためにあるか?国民のため。

国家はどうして作られたのか?秩序を作るため。

国家は何をもって成立するのか?国土と国民がいること

国家を維持するって何?国民と国土を維持するということ

国民を維持すること;国民を生き易くすること(基本的人権・法の下の平等・自由)

政治はなんのためにあるか≒国民を生き易くすることのため


政治は国民を生き易くするためにある。(たぶん)
だけど、国民は国家を維持するためにあるのではない。
国民/人はそれぞれの思うことのために生きている(たぶん、多くは)。
だから国民/人はそれらを実現するために生きるべきだ。
だから国民/人はそれらの実現にあまり役に立たない政治には反対するべきだ。

政治は国家が発展し、基本的人権や法の下の平等・自由などがあまねく国民に確保され続ければその役割を達成する。国民の要望に従い、それ以上の生き易さを国民に提供するならば大きな政府、そうではなく上記役割を達成した時点でその保持のみを追及するならば小さな政府になるのだろう。



日本は既に他国と比べる限り経済的に発展し成熟した国家であるといえる。
しかしながら、ワーキングプア、ホームレス、派遣村、ネカフェ難民、日雇い・・・などという言葉が世間を沸かせ、自分は貧しく人権を侵害されていると主張する人は消えていない。むしろ多くの人がその改善を訴えている。衆院選候補者の93%はそれらに何らかの対策が必要と考えているとのデータもあるらしい。

生き方の自由度すなわち職業選択の自由度や財産保有の自由度が高ければそれだけ格差は生まれるだろう。それは仕方ない。
格差は国家を不安定にするから、それを自由度との兼ね合いをみて埋めなければならない。富裕層は自由度の高い国家を望み、貧困層は格差のない国家を望む。政府はその相反する要望に対し、国家の維持に支障がない程度の多数が納得するような政策を行う。
それができなければ、国民は政府の主体(与党)を否定する。

今の日本はどうやら、より格差のない国家を望む国民が多いとみられているようだ。
格差を減らすために所得再分配を強化し、手当てや税額控除を強化することで格差を改善するとのマニフェスト。雇用政策や日雇いを禁止することで格差是正を訴えるマニフェスト。

一概には言えないが、所得が多いということはそれだけ努力した結果であるということも否定できない。そして現代人にとって所得が多いということは大きな努力のためのインセンティブでもある。
それを否定せずに格差を是正するってのが今の流れのようだ。


これからは、中国や韓国の経済的な台頭によって日本の経済的優位性が低くなり、社会不安が増大しそう。外国人もどんどん流入してくるし。
それも相まって今後法人に対する社会保障の整備を優遇する政策がもっと進みそうだ。そのための財源を国民からどう取るかが焦点のような気がする。
あんまり今後の経済的政治的見通しがよくないので、民主党政権ができても長くは続かないかもしれない。自衛隊の海外派遣は戦闘に関わらない範囲で続く。東アジア共同体とかは早くて20年後くらいだろうか。

どう思う?

2009-08-11

ふたつのスピカと夢

NHKの「ふたつのスピカ」最終回

主人公(宇宙飛行士になる夢を達成して)「夢を達成するのに一番大切なのはなんだと思いますか?」
 ・
 ・
 ・
主 「それは、夢をもつことです」

マジで?
それから、今の自分に特に「夢(どーしても達成したい最終的な目標)」などないことを思い出した。
最近ずーっと夢は何かって考え出そうとしたけれども、残念ながら特にないらしい。

てか夢って皆持ってるの?


今日になってわかったのは、そういう意味での夢とかって自分にとっては美しい幻想に過ぎない。
すげーピッカピッカに光ってるよーに見えてそれ欲しいしって思うけど、僕にとっては土台無理なんだと思った。
誰も彼もが夢をもてるわけじゃない。

だから、夢をもてなんて言うオトナは嫌いだと今思う。
夢をもて、と言うことで、夢それ自身に対する意見や思いを求めるのはいいと思うけど。

自分の中でそれに代わるものとして、今思うのはとにかく楽しめってことだ。
人生楽しんでナンボってのはスゲー真理だって今感じてる。

自分の過去を振り返っても、楽しんでやってたことって、結構成功してる。逆も然り笑
どうやって楽しむのかってのが最近わかんないけど、きっと適当に笑えることをやり続ければ答えは出てくるのだろう。
そしたら夢や目標だって何かしら出てくるだろーしそれは後付けだろうがなんだろうが、本気で信じられるなら夢とやらに変わりないだろう。

そういう意味で、もしそれを「夢」というものに置き換えるんだとしたら、「一生自分が楽しいことをやること」になるんだろーな。
ってことはだよ、俺って結構自分の「楽しい」って思える感覚を信用しているんだな。うん。へー。

まー俺が楽しかったらきっと世界も楽しいだろうという無根拠な自信がある笑

ごめん、引かないでください。。

2009-07-27

神様

久しぶりの更新っす。

テスト、まぁ大体終わった。

イマキュレー・イリバギザの「生かされて」という本を読みました。

ずーっと本棚でお待ちになってらっしゃったんだけど、最近になってやっと読んだ。

ルワンダの虐殺時に生き残ったツチの女性なんだが、凄い。
何が凄いかって、神様を信じる気持ちが凄い。

実際に彼女は神様の声を聞いて、自分の使命を感じ取ったらしい。
日本では、神様をホントに信じていつでも祈りを捧げる人なんてほぼいないし、そんな人はちょっと変わり者と思われがちだ。

「神様はいるかいないかわかんないけど、そんな形而上的なものをあてにするのではなくて、自分でなんとかしよう」、みたいなのが一般的な日本人の見方(俺だけ?笑)な気がする。

その方がrationalだぜ、みたいな。


それが間違っているとは言わない。

が、神様がいたほうが、人間強くなれるのは違いない。
どうしてなのかはよくわからない。
彼女の場合、欲望とか理性とかの範疇を超えている気がする。
3ヶ月間フツの迫害に怯えてトイレに押し込められ、ガリガリに痩せるまでになっても、フツの人々に対する「赦し」を彼女は既に悟っていた。家族をひどい殺し方でやられて、親友や恋人に裏切られてもだ。

シエラレオネや南アフリカやコソボや世界中の紛争があった至る所で、兵士の武装解除の後の被害者との和解をどうするかって問題がすげー深刻で、真実和解委員会やら裁判やらが行われていて、未だに答えが出せない、解決できない問題が山積みだけど、彼女は恨みや憎しみを全部悲しみに変換しているように思える。それを背負うことで乗り越えようとしている。普通の人なら復讐心はもってしかるべきだろう。

アチェにいたときにも感じたけど、神様を信じるのって、そんなに悪いことじゃない。
神様を心の中に信じることで、人間は崇高な存在になれるのかもしれない。
それって、結構腐った自分にとっては希望に見える。

そーいう「メリット」の部分から神様を信じたいとか言う自分はきたねー野郎だ、とも思うけれど。

話は別だけど、イマキュレーとか俺の会ったケニア人って結構素朴な人が多い印象。なんかギスギスしてないというか淡白というか。「大統領になりたい」とか言うやつは多いけれど(特に大学生は)、そういうのがギスギスっていうんじゃなくて、目の前の人との出会いとか繋がりを大事にしてるって感じ。日々の生活を楽しく過ごそうっていう意識がある。日本人の若者の多くが未来志向なら、現在志向というか。

そういうのって、気持ちが穏やかになるし、なんだか楽しい。
ケニアに行きたくなるのは、そーいうのも結構あるのかもしんない。

2009-07-03

アジアプレス野中さん講演メモ

<今日のゼミでのアジアプレスインターナショナル野中さんの講演メモ>

彼自身の歴史
*もともと名誉欲や野望で始めたが、仕事を30年続けていく中で変化してきた
→人々の「生きたいのに殺される」姿を目の当たりにする。
→ジャーナリストとしてこの事実を伝えたい。「卵」の側から伝えたい。
30年続けていくことで、仕事に対する考え方の変化。ある意味達観してる。
それは、今欲望にかられてその仕事を始めたとしてもそれを全面否定すべきでない、というメッセージとして聞こえた。

*マスメディア(テレビ)の報道の偏向
たとえば、イラク戦争における米軍側からの視点に偏重する日本メディア→根拠は「年報2004;NHK放送文化研究所」

*だがしかし、人々のメディアリテラシーの低さが問題である、との野中さんの問いかけ
「戦争で何人死んだ?」
ある意味これは基本情報であり、イラク戦争に加担した日本人としては当然知るべき事実。そしてそれはあるていどメディアを通して伝えられている。
→でも普通知らない。
根本的に同時代に起こる戦争であっても興味がないという日本人の事実。
それは、単純に「遠い」とか「想像できない」という言葉で片付けられるべきではない。
それは、ホームレス問題や、ワーキングプアにも通じる関心の低さ。興味のなさ。
他人、もっといえばマイノリティに対して興味がない。自分のことで精一杯→「社会がギスギスしてる」
→それに対する反発として野中さんの生き方がある。マイノリティを伝えることで、ギスギスした世の中に「自分の人間的豊かさ」を見出したい。野中的ジャーナリズムはあくまで「自分の人生の豊かさ」を得るための手段のようだ。共感した。が、僕にはそこまでできないとも思った。

*報道とは何か
-報道する側
「報道とは、ジャーナリストが見せたいと思うものを流すべきである」
-報道を受け取る側
それらを①論理的に②歴史背景もふまえつつ(③忘れた)、取捨選択していくのが重要。
メディアリテラシーが圧倒的に不足している。

発展して・・・
最近では、世界各地のマスコミのニュースを集めて羅列するマスメディアもある。が、それは中立でも客観報道でもない。単なる情報の羅列にすぎない。

最近の雰囲気を見る限りでは、「なぜその事件・戦争が起こったのか」という原因探求心が圧倒的に不足してる。
-9.11は突然起こったのではない。そこに至るまでには多くの伏線があった。
-北朝鮮は日本にいきなり戦争をしかけてくるわけがない。日本人びびりすぎ。

*おまけ
「知性とは、他人の話をいかに忍耐強くきけるかという能力である」

「日本人は崇高な歴史をもち特別だと思いがちだが、そうでもない」(ある意味当然)

「ギスギスした世の中で金ばかりおいかけていては得られない豊かさがあるが、それがあるということをまず認めるべきです」

「戦争の最初の犠牲者は真実である」(ハイラム・ジョンソン元上院議員、1917年)