2010-05-22

5月21日

21日はすぎ、今日は22日ですが。。

最近、というかここ2年ほど脳が停止している気がする。
どうも気分屋なものだから周りに多大なる迷惑をかけまくりなのは承知の上で、
それに妥協しているのですが。。

やっぱり自分がどう生きるべきとか、今なりたい自分像みたいなのがはっきりしない。
プライドばっかり高くなって、肝心な努力が足りない。

最近は、映画をみまくっている。
小津安二郎(漢字あってる?)はやっぱり好き。
前に秋刀魚の味をみたのだけれど、
今回はまた大学で有名な「東京物語」と「大学は出たけれど」、「東京の女」をみた。
河瀬直美の「沙羅双樹」や、是枝さんの「誰も知らない」も好きです。

やっぱり邦画って、見たことも無いのにすごく回顧的な感じ(トトロ的な)がグッとくる。
自分は映画にそうゆうのを求めている気がするな。
そんでちょっと感傷的にな気分に浸り、いかにも自分が繊細であるかのような感覚になる(もちろんそうでないから、自虐的にそうなりたいと思うのだろうけど)笑

しかも、今までまた是枝監督の「歩いても歩いても」をみました。
是枝監督もいいね!
人間っぽさってのがスゲーわかる。
素人目にもなんか完成度が高いって感じさせた。

あとは今更ながらブラックホークダウンをみたなぁ。
それと彼女に借りて観た戦場のアリア。

商社に入るということで読んでた「不毛地帯」もさっき読み終えた。
山崎豊子は尊敬です。
読んでて、記者とかジャーナリストと小説家、作家の境界線ってないんだな、と思った。
すごいなぁ。

なんか良い映画、本、あったら紹介してちょ。



2010-04-17

4月15日

久しぶりの投稿。

ブログを書くときに気分がミシっとなるのは不思議。
テンションあげて書けばいいはずなんだけど笑

自分の進路がたぶん決まった。

決めるまでは、色々考えたりして、とにかく周りに迷惑をかけまくった。
本当に自分は幸運だった。縁と運で決まってしまった。
今はわりとなんだか自分の将来がある程度方向付けされていくことに若干萎えている。
やっぱ宇宙飛行士とかの方向は俺にはないのか・・・。笑
今日、観測史上一位の遅さで雪が降ったらしい。
なんか色々とその意味を考えざるを得ない。
止めとけってことなのか!!?


最近気づいたのは、やっぱり人間は、「何をしてきたのか」ではなく、「何を思っているのか」が大事なんだということだ。
当たり前な話だけど、やっぱり自分は何かすることに甘えてきた。

これからも何かすんごいことを実現しようと、そこに自信をもつのではなく、それをしたいという思いとかに自信をもっていきたい。

てなわけで、
相変わらずナイーブな感じになりますが、ビール1杯で寝るとか間違いなく罵倒されると思いますので、まずはそこら辺をここ1年でがんばります。笑
飲み、誘ってください!!

2010-03-16

近況

近況をば。

昨日は久々にJKSCの後輩達に会う。
もう11期かぁ、と感慨深いものを感じる。

皆輝いてたね。素晴らしい。
俺も頑張んなきゃな。

就職。

2010-01-07

facing what?

何かと向き合わなければならないことが、日々刻々と深刻さを増す中で、うまくやりあうことができない現在。
こんなんじゃダメだと思いながらも、その中で必死になってぬるま湯のような逃げ道を探し続けております。

今更だけど明けましておめでとうございます。

自分が、自分らしくないと感じ続けて早2年余りか。もはやこれが自分の本性だと、結局変わることができない自分をひどくもどかしく思う。・・・が、何もしない。そんな感じだ。

何かに意義を見出して、それを続けることを目指しても、他人の深い(深そうな)洞察を目の前にして立ちすくんでしまうという、まったくもって弱弱しいスパイラルから逃れることが出来ない。

微妙な劣等感がガソリンだった自分にとって、微妙にそれが満たされた現在はぬるいものだ。安住できそう。

なーんてまたネガティブなことを。笑


夕日が綺麗だ。
それだけじゃダメか。

2009-12-16

徒然

色々わかんないことばっかりある。
迷ってもいる。

今日は西谷修先生の授業で、メディアの偏向性について考えた。
メディアとは常にそのジオポリティクスに左右され、その偏りは「メディア(ここでいうメディアは報道かそれに近い)とは中立や客観性を帯びつつも主観である」といった言説以上のものだと。その認識の上にたってメディアをみるべきだと。
彼の授業は、日に日に過激さを増しているように思えるが、それだけにすごく面白い。

オバマのノーベル平和賞受賞演説も面白い。
超大国アメリカの大統領として、二つの戦争の当事者である彼がいかにその批判に回答するかが問われたわけだが、若干拍子抜けした。もちろん、大統領としての立場があり、自国の兵が多く犠牲になっている(もちろんイラクではイラク人がそれ以上に無残に殺されているわけだが)ことへの配慮などをする必要があるから、あまり「平和」に対する彼の意見を述べることのできる状況ではなかった。
演説は評価できないけど、彼の葛藤はなんだかちょっと垣間見た気がした。そんなのないかもしれないけど。


昨日は、ふたご座の流星群を学校帰りの東八道路の歩道橋からみた。
あまりに綺麗だったので、一人でわーわー叫んでしまった。ケニアの星空を思い出す。
直前に図書館でほぼ完成していたレポートが強制終了されてしまったことなど、吹っ飛んだ。

最近は、ある人のことばかり考える。
こんなにずっと思い続けるのは人生初かもしれない。
チャーミングで、まっすぐで、人間っぽい彼女の目に、完全に魅了されてしまった。


人生において重要な決断を前にして、今の僕は慌てふためき、悩み、迷う。
選択することがこんなに苦しいなんて、残念だ。
光は確かに存在するはずだし、夢だってあるはずだし、それに向かうためのステップを今踏めばいいはずなのに。
覚悟しよう、その強さを持とう、と自分に言い聞かせてここ一ヶ月。
まだまだ甘ったれの自分から抜け出せずにいる。



世界はパラドックスに満ちている。
このパラドックスを咀嚼する力を、すなわち考える力を、そしてそれを行動に移し完遂する力を。

さ、消えたレポートをもう一度作るところからだ。

2009-11-25

香港



香港に行く機会がたまたまでき、留学中の友に会う目的もあって行ってきた。
なんとなく、他人のブログを読んでいて自分も書きたい気持ちになったので、ちょっと思ったことをば。

様々な光に満ち溢れた街のなかで、当然のごとく影の存在も本当に少しだが垣間見ることができた。
到着と共に巨大なビル群の洗礼を受け、これでもかというほどのビルの林立感は正直恐怖さえ感じるほどだった。

現地人も近づかないというバックパッカー御用達の重慶マンションに僕らは宿泊。インド人や黒人たちが周りで談笑しているのが印象的だ。

香港では、障害者や老人の物乞いはところどころで見受けられたが、東京にみられるようなトンネルや橋の下ホームレスはいなかった。
しかし、香港にそびえる巨大なビルの気づかないような細い谷間で、彼らは生きていた。彼らは、掃除夫としてビルの管理をし、夜はその谷間の寝床について暮らしている。


香港はもともと漁師の町だった。香港と聞くとかなりの大都会を想像するが、領域内に230ほどの島々を抱えていることからもわかるように、自然にあふれた地域もかなりあるようだ。僕はその一つ、LAMMA ISLANDという比較的大きな島に行った。そこには、蛋民と呼ばれる人たちがいた。彼らはいまだに水上での生活を続けている。


他にも、留学中の我が友に聞くところによると、この蛋民を政府は湾岸地帯に巨大な団地群を立て続けることで陸に上がらせようとしているらしい。蛋民の人たちの波止場には、小さな屋台がいくつか並び優しい明かりを灯している。それに癒された一観光客としては、なんともはがゆい思いがする。
香港の光と影。

一体、どちらが光でどちらが影なのか。そもそも光と影という2元的な表現自体、無理があるのか。
きっと小さくとも人によって求める光は違うはずだ。僕にとっての光は何なんだ。僕にとっての光は、僕にとっての真実。そう、人間臭さや迷いが混在していて、わかりにくくて一見矛盾してたりもするもの。それが僕にとっての真実。そうか、色々なものが混在する香港という街全体が、もしかしたら僕にとっての光なのかもしれない。そして、同じことが影についてもいえるんだろう。

にしても、カタカナを訂正できる人は香港にさえいないのだろうか。まぁ面白いから全然いーけど。笑


2009-11-11

unite!

久しぶりに更新だ!!

great dictator charlie chaplin


すげー。まったく正しいと思う。
でも民主主義のリーダーたちが同じことをいうと、すげーウソっぽく聞こえてしまうのはどうしてだろう。
その時点で、すでにこのチャップリンの演説も破綻しているのかもしれない。

結局、僕たちは富や権力や憎悪や不安に打ち勝てるほど強くないのであって、それはまず認めなければならないよね。
それを認めたうえでの希望をみたいというのは、ちょっと厚かましすぎるのかな?

富や権力や憎悪や不安、そういったものに打ち勝ち、人々の思いを的確にrepresentativeたりうるもの。
サイードは、そういう人間が知識人だという。
知識人は社会の根底にあるものを指摘し、表出しない人々の奥底の思いというものを表現する。
そして共同体に所属しながらも、それを否定し続ける。かっけー

知識人の定義って確かになんとなくこんなんであってほしいって思うけど、現実の社会にあって、
こんな人100年に一度、多くたって10年に1度くらいなものな気がする。

金と名声が大手をふるって歩く今、どうしてこんな生き方ができようか。
人間はビビりだし、怠けるし、憎んだりもする。そんで後悔する。弱い。笑い
それを乗り越えるために、人助けして、金追いかけて、勉強するんだろう。

機械になってしまう人間を否定してはいけない。
知識人になれないことを否定してはいけない。

じゃー何でもアリの社会が正しいのか。
うーん。

僕が思う社会の理想って、やっぱり「カオス」だな。
機械になるな!って言う人がいて、機械でもいいじゃないか!って言う人がいて、どーでもいいって言う人がいて、わかんねー!って悩む人いて、
っていう混乱。
それらがMIXYな感じでグチャグチャなら、(ある程度の抑止力があれば)戦争にもならないしさ。
言いたいこと、自分が思った真実を口にできるって、貴重で超重要なことなんだ。
さらに、自分の生きたいようにまぁある程度はできることも。
うん、戦後の日本人はよく頑張ってくれた!GHQとかも!
きっと、幸せな時代に生まれたんだろうな。おじいちゃんとご先祖様に感謝しなきゃ。

あれ?
結局何がいいたいんだっけ?笑

そーだ。俺、就活を自分がすることに対する正当性を自分に主張したいんだった!笑

ビバ!カオス!!