2008-04-21

戦争の甘い誘惑

クリスヘッジスの『戦争の甘い誘惑』を読んでいます。
まだ途中なのですが、面白いです。

しかもアマゾンで98円だった。笑

戦争はよくない、と思う。
ただ、良くないからといって戦争を頭から否定するのも問題があると思う。
戦争はなくならないと思う。もしなくなったとしても、戦争と人間とはすごく密接にくっついていると思うから、それを否定したところで繰り返されるだけだ。

だから、戦争がどういうものなのか、良し悪しではなく、人間の成す行為の一部として真剣に向き合う必要がある。

クリスヘッジスは、「戦争は、孤独から人間を解放し、この複雑な世界を理解し易くさせる」といっている。(まだ読み途中だけど)
生きるのは苦しい。こんなに物質的に満たされていても、僕自身どこか息苦しさを感じていたり、しんどいと思うときもしばしばだ。
もし、その戦争とやらが、ひと時でもその孤独を癒してくれるのなら、戦争に迎合してしまうもの無理はないのかもしれない。

まさか、自分が戦争に賛成するわけがないと思っている人もいるかもしれない。
人殺しなど自分にできるはずがない、と。

でも、それが正当化され、賛美される世界だったらどうだろうか。敵はもはや人間ではなくなり、自分たちが絶対的な正義であり、相手がそれを壊そうとする悪の帝国だと信じられた世界だったら。
僕だって人をたくさん殺し、ヘラヘラ笑っているかもしれない。
そんなこと信じたくないけれど、その可能性が大有りなのだ。

事実、殺し合いの結果80万人が死んだルワンダは10数年が経った今、アフリカ有数の平和な土地(日本と変わらないらしい)になっている。平和を望む日本人だって、虐殺や戦争を起こす可能性は大有りなんだ。

じゃぁ、そんな状況を防ぐことはできないのか。

そんなん簡単に答えが出れば、苦労はしない。
それを追い求めることが、戦争をなくすことにつながるのかもしれない。
ただ、一ついえるのは、人の心と密接に絡んでいる以上、自分の気持ちをはっきりさせておく必要があると思う。自分を絶対化しないとかさ。これって案外クソ難しい。


俺も最近知ったけど、この世界には絶対的なことなど何一つないらしい。
100年後、地球は丸いとホントに思ってたのに、実は3角形だったりしてさ。
実は人間の祖先はサルではなく、ゴキ○リだったとかさ。笑
いや、余談でした。

2 件のコメント:

S さんのコメント...

日本では「人の命」が比較的絶対化されてるよね。かつて福田赳夫首相が『人の命は地球より重い』と言っていた事例を中学時代に資料集かなんかで読んだけど、当時は全く疑問を抱かなかった。でも、9・11あたりをキッカケに、これはすごく不思議なコトだと考えるようになった。命の重さというのはどう理解するべきなのか、ずっと悩んでる。平和の重さ、戦争の意味とかも同様。勉強中。

それでも、そういうのを踏まえた上でやっぱり平和を求めていきたいなと思うけどね。

CARLOSI さんのコメント...

命の重さねー。

なんかさー俺最近理論的につきつめていくことにちょっと違和感感じてんだよね。
人間がなすこと、考えることってのはけっこー論理に基づいていると思うけど、自然とか人間が生まれる前からあったものってわりと論理なんてとって付け加えたもんだし、人間の心なんてのも実はもう答えは決まっていてそれに意味づけする作業が論理なんてよく言う話。
科学(論理)にどこまで頼るべきなのか、その境界線つーか限界を考えてる。

あと、平和が一番ってのもちょっと考えてしまう。ブルーハーツの「英雄に憧れて」って歌、結構共感してしまうもの。笑