2009-11-25

香港



香港に行く機会がたまたまでき、留学中の友に会う目的もあって行ってきた。
なんとなく、他人のブログを読んでいて自分も書きたい気持ちになったので、ちょっと思ったことをば。

様々な光に満ち溢れた街のなかで、当然のごとく影の存在も本当に少しだが垣間見ることができた。
到着と共に巨大なビル群の洗礼を受け、これでもかというほどのビルの林立感は正直恐怖さえ感じるほどだった。

現地人も近づかないというバックパッカー御用達の重慶マンションに僕らは宿泊。インド人や黒人たちが周りで談笑しているのが印象的だ。

香港では、障害者や老人の物乞いはところどころで見受けられたが、東京にみられるようなトンネルや橋の下ホームレスはいなかった。
しかし、香港にそびえる巨大なビルの気づかないような細い谷間で、彼らは生きていた。彼らは、掃除夫としてビルの管理をし、夜はその谷間の寝床について暮らしている。


香港はもともと漁師の町だった。香港と聞くとかなりの大都会を想像するが、領域内に230ほどの島々を抱えていることからもわかるように、自然にあふれた地域もかなりあるようだ。僕はその一つ、LAMMA ISLANDという比較的大きな島に行った。そこには、蛋民と呼ばれる人たちがいた。彼らはいまだに水上での生活を続けている。


他にも、留学中の我が友に聞くところによると、この蛋民を政府は湾岸地帯に巨大な団地群を立て続けることで陸に上がらせようとしているらしい。蛋民の人たちの波止場には、小さな屋台がいくつか並び優しい明かりを灯している。それに癒された一観光客としては、なんともはがゆい思いがする。
香港の光と影。

一体、どちらが光でどちらが影なのか。そもそも光と影という2元的な表現自体、無理があるのか。
きっと小さくとも人によって求める光は違うはずだ。僕にとっての光は何なんだ。僕にとっての光は、僕にとっての真実。そう、人間臭さや迷いが混在していて、わかりにくくて一見矛盾してたりもするもの。それが僕にとっての真実。そうか、色々なものが混在する香港という街全体が、もしかしたら僕にとっての光なのかもしれない。そして、同じことが影についてもいえるんだろう。

にしても、カタカナを訂正できる人は香港にさえいないのだろうか。まぁ面白いから全然いーけど。笑


2009-11-11

unite!

久しぶりに更新だ!!

great dictator charlie chaplin


すげー。まったく正しいと思う。
でも民主主義のリーダーたちが同じことをいうと、すげーウソっぽく聞こえてしまうのはどうしてだろう。
その時点で、すでにこのチャップリンの演説も破綻しているのかもしれない。

結局、僕たちは富や権力や憎悪や不安に打ち勝てるほど強くないのであって、それはまず認めなければならないよね。
それを認めたうえでの希望をみたいというのは、ちょっと厚かましすぎるのかな?

富や権力や憎悪や不安、そういったものに打ち勝ち、人々の思いを的確にrepresentativeたりうるもの。
サイードは、そういう人間が知識人だという。
知識人は社会の根底にあるものを指摘し、表出しない人々の奥底の思いというものを表現する。
そして共同体に所属しながらも、それを否定し続ける。かっけー

知識人の定義って確かになんとなくこんなんであってほしいって思うけど、現実の社会にあって、
こんな人100年に一度、多くたって10年に1度くらいなものな気がする。

金と名声が大手をふるって歩く今、どうしてこんな生き方ができようか。
人間はビビりだし、怠けるし、憎んだりもする。そんで後悔する。弱い。笑い
それを乗り越えるために、人助けして、金追いかけて、勉強するんだろう。

機械になってしまう人間を否定してはいけない。
知識人になれないことを否定してはいけない。

じゃー何でもアリの社会が正しいのか。
うーん。

僕が思う社会の理想って、やっぱり「カオス」だな。
機械になるな!って言う人がいて、機械でもいいじゃないか!って言う人がいて、どーでもいいって言う人がいて、わかんねー!って悩む人いて、
っていう混乱。
それらがMIXYな感じでグチャグチャなら、(ある程度の抑止力があれば)戦争にもならないしさ。
言いたいこと、自分が思った真実を口にできるって、貴重で超重要なことなんだ。
さらに、自分の生きたいようにまぁある程度はできることも。
うん、戦後の日本人はよく頑張ってくれた!GHQとかも!
きっと、幸せな時代に生まれたんだろうな。おじいちゃんとご先祖様に感謝しなきゃ。

あれ?
結局何がいいたいんだっけ?笑

そーだ。俺、就活を自分がすることに対する正当性を自分に主張したいんだった!笑

ビバ!カオス!!