2009-01-27

もみあげ

もみあげ

 

先週の金曜の夜から、車でインターン先の職員の田舎へ行ってきた。

夜12時(9時出発と言われてこの時間になったのはもちろん笑)に出発して車で約10時間。

アチェ州のほぼ一番西から一番北東へ移動した感じ。

そこはもうアマゾンとまでは言わなくとも鬱蒼とヤシの木やら熱帯雨林にありがちな木々が生い茂っている。


職場の友人の彼女は8人兄弟でそのうち7人は女。

すでに私の友人以外は結婚しており、小さな子供からおばあちゃんまでもう家の中はグチャグチャ状態。

「子供は多いほうが楽しい」というのが、ここでは共通理解のようだ。

 

聞けば職場にいる他の職員の方々も皆、6人~10人ほどの兄弟で、まさにマンパワー大国インドネシアを感じた。

今回は26日のイムレックの休日を利用した3連休で皆集まっていて、話によると2ヶ月前に生まれた赤ちゃんのイスラムチックな儀式のためらしい。

名前も地元のイマームからつけてもらう。

 

主にしたこと、思ったことは以下。

-ヤギの屠殺初鑑賞

-家族のカオスすぎる生活に慣れることができず神経衰弱、寝まくる。

-近くの川で裸で群れる地もとっ子とじゃれる。

-ロープを使った手漕ぎ渡し舟(車も一台運搬可能)に出会う。ウケる。

-おじさんちで衛星中継でNHKを観る。日本は平和だと知る。

NARUTOが子供に大人気!が、しんちゃん同様、親には不人気。

-睡眠→食事の繰り返し。飯のほぼ全てが辛い。救いは米だけ。

-郡長が親戚で来ていて話す。喋りがうまくて感動。政治家とセールスマンは紙一重だと感じる。

-村人にお前髪を切れと言われ、勢いで村人に散髪してもらう。もみあげがなくなる。笑

-村は「コミュニティ」といわれるのものがまだ生きていると感じた。皆友達!

-帰りにお腹を壊す。土石流のようなものをだす。

-村はまだ井戸水を使う。マンディのための水がなくてうんこが流せず焦る。

-飲み水は井戸水を沸騰させて飲む。

-モスクは道中のトイレとしての機能も併せ持つ。お世話になり、ちょっと感謝している。

-インドネシア人の運転技術は日本人の及ぶものではない。彼らはミリ単位で運転する。

-道中何度も死ぬかと思った。一車線の一本道を時速100キロでぶっ飛ばすともはやジェットコースターなど子供のお遊びに思える。

-車のサーチライトやウインカーには色々な用法がある。

-やっぱり自分は現代人だと実感する。

-日本の威力を知る。

-文化や個々人の性格の違いなど違いはあげればきりがないけど、根本的な人間としての共通点も多いことを感じる。

-インドネシアの言葉の豊富さにもはや驚きを超えため息が出る。

-もはや虫だろうととかげだろうとゴキブリだろうと無視する自分に気がつく。

-親戚のおっちゃんたちとはやはり汚い話で盛り上がる。

-アチェ人の男は「お説教」好きが多い気がする。

-宗教(イスラムやキリストや仏教といわれるような)がないと驚かれる。

-日本=(技術先進、頭が良い、インドネシア占領、皆多忙)がアチェ人の一般的日本理解

-東京外国語大学(Tokyo University of Foreign StudiesTokyo Universitas Kajian Asing)をどうしても最後まで理解してくれない。東大と間違う確立9割。ま、ちょっとうれしいけどw

-自分はきれい好きと言いながら、村の道はゴミだらけ。道路もでこぼこ。なんかそーゆうの、村人の性格や公共サービスの欠陥ももちろんあるんだろうけど、この蒸し暑さじゃ仕方ない気もする。

-子供は無垢だ。美しいと感じる。いつも癒される。

-が、同時に彼らも人間だとも感じる。大人と子供の境界なんてないと思う。というかその定義自体怪しい。不可解だ。

-ヤギの屠殺を見ても、特に何も感じなかった。こんなもんだろーなって感じ。皮を剥いだって、頭蓋骨を割ったって、今までの知識を例証する以外の何ものでもなかった。その後も普通にヤギ肉をいただく。 

-「信じる」ことの美学が、副作用を生んでいるように感じる。

-「曇りなき眼」というのは日本人特有の美学だ。もちろん「曇りなき」のフィルターを通した眼で見ているのだが。

-今更だが学問とは、そういった自分にかかったフィルターをとっていくために作られたのだと知る。ほんと今更。笑 だから知識人って戦争の度に弾圧されてきたのか。

-が、フィルターのない人間などいないと感じる。 

-いかなる人間(組織や国家含め)にも左右されず、さまざまな所(地球上のあらゆる場所を指す)から多くの知識(実体験、疑似体験含め)を蓄え、それをもって考えたいと思う。それは理想だ。不可能だ。でもそれが素晴らしいと思う。

-結局、どんなに社会が発展しようと、人間は動物の一種であり、サルに毛が生えたものでしかない。これは真実だ。が、多くの人が勘違いしすぎだ、と信じる。


もみあげが消えた。この髪型を「アチェ刈り」とでも呼ぼうか。


以上。

2009-01-21

暇のススメ

最近ひまだ。

暇について考える。
いや、実際考えてない。

でも暇ってそんな悪くないはずだ。

もっと暇に耐える強い精神がほしい。
何もしないこと、何も発展しない、何も楽しくない。
そんなんだっていいだろう。

意味がある人生が価値があって、意味のない人生が価値がないなんてこともないだろう。

いつまでも子供でいたっていいだろう。

でもまた思う。
そういう意味のない時間をもつことで、自分を成長させたいと思っている自分を。
結局、発展性のない時間なんて持ちたくないと思っている自分を。

急いでいては、僕にとっての真実は見えない。
暇だからこそ、見えるものがある。

そう、そして僕はいつまでもこの「発展信仰」から抜け出すことはできない。
それでもいい。

そういう自分に僕は気がついたのだから。


2009-01-18

アディンの話

二〇〇九年一月七日 

アディンとの話の中で。

アディンについて。
わりとガムメンバーの多い地区で、郡長の父をもつ。
両親はアチェ党に賛同。六人兄弟の四番目。
兄はドイツの病院で働く公務員。英語ができるらしい。 
孤児院のお世話係。アチェの大学卒。26か27歳。
ブディのいる所で

問:国軍はアチェで民衆を虐待したか。
答:した。それは明白だ。
アチェ人の家族は疑われている。だから彼らが脅されるのは当然。多くのアチェ人が国軍から虐待を受けた。

問:ガムも民衆を虐待したと本で読んだが事実か?
答:それは、国軍でスパイとして使われていたアチェ人に対してだ。
一般の民衆に対しては虐待はないだろう。ガムはアチェの中で生きているのだからアチェの人々を虐待するはずがない(最後の文は不確か)。

問:国軍のスパイのアチェ人はその後今どうなってる?
答:彼らはアチェの外に出たか、アチェ内にいても一人ぼっちだ。
国軍からもらったお金で少しばかり金持ちになっても長くは続かない。友達もいないだろうし、自虐状態だろう。

その他:
* 仮にガムのメンバーにご飯を分けたり、何かをあげただけで逮捕される。だからガムを助けたい場合は、ご飯を残したふりをしてその場を立ち去りガムにご飯をわけてやったりする。
* ジャワ人とはコンフリクトに関する話はしない。ジャワ人やバタヴィア人はアチェの政党が勝つのを恐れている。4月の総選挙でどうなるかが心配だ。
* 「郷に入っては郷に従え」、人それぞれの幸福の形があるはずだ。(ずさんな支援の形をみて同意)
* 単なる噂なのかもしれないが、アメリカや大国の潜水艦が紛争中アチェ近くに潜在していた。そのため津波後の復興支援が非常にスムーズだった。とのこと。

アチェでの宗教

2009年1月13日

アチェはインドネシアでも特にイスラム色の強い州として知られている。法律はシャリーア法があり、女性はジルバブ(頭にかぶる布)の着用が義務付けられている。男女の関係には特に神経質で、恋人になる=結婚する、という方程式は人々の通念とともにシャリーア法により補強されほぼ成立している。ジャワのイスラム教徒とは違い、お祈りは毎日5回必ず行っているようにみえる。アラビア語の習得もかなり重要らしく、アチェ人のほとんどがアラビア語を読める。驚いたのは男女の接触に関してだ。一応法律では、未婚の男女が一つの密室にいることは禁じられている。僕は今、孤児院と併設されているアパートに住んでいるのだけれど、小学校低学年くらいの女の子が膝の上にのってきただけで大人が制止しようとする。そこまでしなくても・・・と思いがちだが、彼らの目は本気だ。一方でやはりここアチェでも信教感覚に差がある感じも受けた。強制されたくないとか単純にむさ苦しいからとジルバブをかぶらない女性もいたし、若い男の目下の目当ては女の子だから普通に近づく奴もいたりする。礼拝をしない男もいるし、子供はわりと礼拝が面倒くさそうだ。とはいってもここはやはり中東の庭。ジャワとは比べ物にならないほどイスラムを感じる。若者の聞く音楽もインドや中東(それらの音楽をちゃんと聞いたことあんまりないけど)のそれに近いものを感じる。ジャワはラルクや宇多田ヒカルが時々聞こえてきたりJポップ的な匂いが結構するけど、ここはそれとはまるっきり違う。同じインドネシア国内の音楽よりも違う音楽が普及しているのってなんだか不思議だ。

ここに来る前にジャワ島にいたが、生活は現代化されジルバブを着用している女性も多くなかった(他の宗教の教徒がアチェに比べて多いというのもある)。酒を飲んだりするのは公には控えられるが、僕の周りの大学生の多くが飲んでいた。豚も食べる奴がいたほどだ。そんな彼らは、アチェについてはやっぱりイスラム教色が強いイメージがあるらしく、「女と二人で歩いたら即逮捕だから気をつけろよ」(そこまで厳しくない)とか、厳粛にイスラム教を体現している地域といったようなイメージをもっているようだ。

そんなアチェでもわりと僕らに近い感覚もある。例えばアチェ人はインドネシア国内でも肌の黒い部類の民族になるが、それに関してはジャワや日本人と同じように劣等感とまではいかなくても白くなりたいと思う人が多いようだ。「俺は黒いから彼女とは付き合えないよ」とか「私は黒いからだめね」といった発言を結構聞く。結婚式では女性はオシロイみたいなもので真っ白な顔になる。また大体ウケる男女関係ネタについても、同姓のみの場ならば結構通用する。例えば男だけなら写真をみて誰がかわいいとか浜辺に行ってナンパしようとかで大抵大騒ぎだし、女だけなら(俺男だけど)インドネシアでの愛人事情とか彼氏に連れて行って欲しいデートスポットとか。「明日から私の愛人ね」と言ってくるおばちゃんもいる。この辺は人類共通だ。

余談だが、これはインドネシアで共通かもしれないがほぼ全ての国民がアメリカやイスラエルに対しては反感を持っているようだ(オバマは別)。最近のイスラエルの空爆は、格好の反感を募らせる的になっているように感じる。アメリカに対しても今日9.11関連(アメリカ側の視点で乗客の勇気を称えたもの)のDVDを買って来て友達と観たのだが、悲劇的なシーンでも結構な笑いっぷり(悲劇的なシーンを作り出そうとしている映画の作りに笑っている)。自分としては飛行機に乗る機会も時々あるので、ハイジャックこえぇーと思いながら観てたのだがそれも彼らの笑い声でつぶされこっちも笑っちゃった。外国人と何か映画をみると見方がまるで違ったりするからそれはそれで面白い。けれど、もし自分がアメリカ人だったら笑ってんじゃねーよ的な発言をするんだろーなとも思う。自分が結構無垢に信じていたりするものを他人に笑われたり傷つけられたりすると結構傷つくんだろーなとふと感じた。

以上。

「Pemilu 2009にそなえるNGO会合に参加して」

¨ 会合主催組織要旨
Ø 組織名:Aceh Post Konflict Working Groups(APCWG)
Ø APCWG参加NGO:
LBH Banda Aceh, RPuK, KPI, Gerak Aceh, Aceh Institute, SPKP HAM, FAA, PCC Aceh, Hivos, Solidaritas Perempuan, World Vison Indonesia, UNORC, ACSTF, Lakaspia Institute, LINA, Pusat Penguatan Perdamaianm AJMI, KontraS Aceh, Ita Nadia, Taufik Abda(今回の会合に参加しなかったNGOも含まれている)

Ø その他、組織の詳しいことは良く知らない。

¨ 会合要旨
Ø 開催日:2009年1月14日
Ø 時間:10:00-12:30(私は11時から参加)
Ø 場所:Kantor LBH Banda Aceh,
Jl.Elang Timur, Lr.Tgk. Lampoh Bungong No.12A, Desa Blang Cut, Banda Aceh.
Tel: (0651)22940
Ø 議題:
1.2009年インドネシア総選挙前の紛争状況の共有(あくまでアチェ国内)
Sharing bersama situasi dan deteksi konflik menjelang Pemilu2009
2.先手の行動計画スケジュール(ここでは議事省略)
Renjana tindak lanjut

¨ 議事録
◎ 「潜在する紛争勃発の可能性」
1. 伸張するインドネシア国軍
-国軍出張所の増加
-国軍権限拡大
-あくまで暴力装置としての国軍
Ø ジャカルタ政府は選挙プロセスのモニタリングの為に国軍と警察のメンバーからなる選挙プロセス監視団をアチェに派遣する。本来ならば、海外から監視団を招致すべきとのNGO職員の批判。
Ø ジャカルタ政府は国軍による選挙中の治安維持部隊を派遣する。本来ならば、国内の治安維持は警察の任務であるとのNGO職員の批判。
Ø 中部アチェで国軍が住民に対して支援活動をしている。
→アチェの規制強化を後押しする狙いがあるものと思われる。

2. 選挙方法の変化
アチェ農村部に住む女性は識字率が低い。また投票方法が変わったことを知らない。以前は投票用紙の候補者/政党の横に穴を開けることで投票していたが、今回の選挙からはペンでチェックすることになった。その為、多くの投票が無効になる可能性がある。その変更点について広く社会に浸透させる必要性があるが、未だそれがなされていない。
→1.メディア、2.ポスター、3.コミュニティー内会合、4.訓練(melalui training)

3. メディア(新聞やテレビの報道番組、ラジオ)
メディアに関して批判は今のところ(我々は)ないが、メディアが誤った報道や偏った報道を行った場合に紛争が再発する可能性がある。従って、AJI(Asosiasi Jounaristik Indonesia、インドネシアジャーナリスト連合)と共同でメディアが誤った方向に進まないようにコントロールする必要がある。

4. (内的、外的)政党間紛争
アチェ農村部で他政党(主にアチェの地方政党)の根も葉もない偽情報を流したり悪口を住民に吹き込むような例が起こっている。それが政党間の紛争に繋がる可能性がある。

5. 選挙管理委員会(Panwaslu; panitapengawas Pemilu)の存在
選挙管理委員会のメンバーには選挙プロセスなどをよく理解していない人間がいる。

「Lakaspia InstituteのSahranさんインタビュー」

「Lakaspia InstituteのSahranさんインタビュー」

u Lakaspiaについて
正直まだ良く知らない。
一応、アチェの研究機関、ということは聞いているが、実際にどんなことをやっているのかは下記Sahranさんの活動のみ。

u Early Warning System
・ システムの大まかな内容
このシステムはアチェ内の約10ほどの組織(NGO)が作った紛争再発を防止するための警戒予告システム。紛争誘発する報告書を県長など各地域のリーダー的存在に提出する。

・ 2007年~から始動
・ 報告書提出までの流れ
1. この活動に参加する各NGOのメンバーが、それぞれの活動に基づいて現在のアチェ内における紛争を誘発するような活動を察知する。
2. 研究所にて分析、報告書にまとめる。
3. アチェ州内の県長やその他、各地域のリーダーに提出。

・ その他質疑応答
Nakai:この活動を通して、紛争を予防することができると思いますか?
Sahran:思わない。私たちNGOの力など政治を動かすには微力にすぎない。ただ私は自分ができることをしているだけだ。

u Potensi Konflik dalam process Pemilu2009
(総選挙プロセスに潜在する紛争を誘発する事実)
・ 再復興プログラム
アチェ再建復興庁(BRR、BRA)は汚職などにより一部の新富裕層を作るにすぎないまま。
未だ無職の元兵士などがおり、彼らが盗みや脅しにより社会を不安定化させている。

・ TNI(インドネシア国軍)のアチェ駐在
総選挙にあわせて「治安維持」と称して国軍がアチェに駐在する予定。
本来なら治安維持は警察の任務であるが、ジャカルタ政府は国軍を派遣。

・ 地方政党(Local Party)
元兵士が突然武器を捨てて政治家になり、総選挙に立候補する。
元々教育もまともに受けていないために、民主主義が何かもよくわかっていない。一部では「自分たちの領土」などを決め、他党の旗や関与を一切追い払うなどの事件が起きている。

・ 総選挙プロセス、選挙方法の未浸透
アチェ農村部では未だ選挙がいつあるのか知らなかったり、選挙方法の変更(「Pemilu2009に備えるNGO会合に参加して」参照)を知らなかったりする。言われるままに投票をしたりすることもありうる。

u 紛争再発を防止するには何が必要か。
・ TNI(国軍)が警察の業務に介入しないこと。
・ アチェ選挙管理委員会のメンバーはたった3人。しかも皆民間からで選挙管理の経験も勉強もない。ジャカルタの選挙管理委員会本部の工作だ。
・ インドネシア大統領がメガワティや国軍幹部などのナショナリストに代わらないこと。

u 兵器はどこから?
3つの可能性。
・ TNI(国軍)がGAM(FREE ACEH MOVEMENT)に渡している。
・ 2003年までの残りがある可能性
・ 海外(ベトナム、ミャンマーなど)からの輸入。

また、“Indonesia:Pre-Election Anxiety”(Asia Briefing No81, 9/sep/08,International Crisis Group)という報告書には、GAMの党であるアチェ党が多額の企業・個人献金を受け取っていることが記されている。これらの金が紛争誘発を助長する可能性もある。

u 今後の展開予想
Nakai:選挙は「成功」するとおもいますか?
Sahran:五分五分。私は他の研究者よりも楽観的だ。というのも歴史的にはアチェでの戦争は20年から30年に一度の割合で起きている。したがって私はあまり選挙が失敗して紛争再発の可能性は少ないと思っている。
また、多くの人々は平和による恩恵を多く受け取っている。今更また戦争には戻りたくないだろう。しかし、東アチェ県や北アチェ県では未だに60パーセントが貧困に苦しんでいる。これらの人々に向けては早期の対応が必要だ。
また多くの人々がクアラルンプールに行って遊ぶ。(注:マレーシアはイスラム国家であり飛行機で一時間、数千円でいけることもあり、シャリーア法を実践するアチェ人としてはアチェ隣の州都メダンよりももっと身近だ。紛争中避難民もたくさんマレーシアへ逃げた。)

以上。地方政党のメンバーに話しを聞きたい。

2009-01-04

明日からアチェ

とにかく、妥協しない。
それだけ。