2009-05-29

今、一生懸命生きなければならない。

一日だって、ムダにはできないはずだ。
今は耐え時だね。


2009-05-26

社会が茶番であることについて

社会は茶番だ。たぶんこれは大方の人が多かれ少なかれおもっていることだろう。
特に周りの多くの就活生をみると、悲鳴のように似た言葉をきく。
その思いに蓋をして「社会」に適合しなければいけない空しさ。
それでもなんとか茶番に入っていかなければならない空しさ。なんともやりきれない。んだろーな。笑
一年後はわが身、かもしれない。

昨日ちょっと(いや大分)背伸びしてジャズバーで話した友人は、村上春樹の「high wall and an egg(壁と卵)」についての授業をうけたらしい。

壁という茶番。そしてそれに適応しなければやっていけないぼくたち。残念すぎるが、仕方ない。
でも、「壁」に、あたかもそれが人間の手を離れた神的な支配者の臭いを感じてしまうのは僕だけだろか(それはかってな思い違い!?かもしれないけれど)。

壁は人間の集合に過ぎない。壁っていうとなんかカッケーけど、あんまりイメージわかない。世界にどんだけ?ってくらい人間がいるから、デカイだけのことだ。
やっぱり人間が増えすぎちゃったのかなぁ。人間が増えれば増えるほど、壁はより高くなり強固になっていくはずだ。

高くなれば高くなるほど、卵と言われる私の頭はついていけないし、そんな真剣に考えてきたわけでもない私の脳みそであっても引き裂かれて混沌とした思いがする。現代においてどれだけの人が悩むだろう。悩むか諦めるか。あたかも二者択一だ。

結局、とりあえず今の僕は、その壁とやらは否定しないことにした。
その壁が多くの卵の生を豊かにしているのは明瞭だし、苦し紛れにでも混沌とした世界を秩序だたせているのがシステムだからだ。

2009年の今、このシステムから完全に抜け出すことは地球上においてほぼ不可能のように思われる。
そしてどんな名誉ある地位であってもこのシステムが茶番である以上、その地位も茶番だろう。

それでも僕は茶番を茶番として見続けていくことで、自分の理性とプライドを保ちたい。仮にその行為も茶番といわれようともだ。
それが僕にとっての壁に対するひとつの反逆である。明日には変わってるかもしれないけれど。笑

だからなんだよ、って話だよね。笑
あー授業行かなきゃーめんでー

2009-05-12

絵を描こう

元気ですかー!!

私は意外と元気です。
とりあえず、剥製を作っている姉から絵の具を借りてきたので絵を描きます。

そうです。ヒマですぜ。

日本人はヒマを楽しめないとか言われてるらしいから、人一倍多趣味な男になります。
どーせ自己満だし別に下手でもかんけーねーし。

かっかっか!!みてろよピカソ!!

2009-05-11

夢や希望がないのに、それらを探そうって気持ちもないのに、ただ話しをしようたってそりゃただのマスターベーションだろう。

夢やらがあれば、もうちょっと可能性はあったんだが。


なんだか今日の私は生まれてきて一番沈んでる感じがする。

2009-05-07

映画ご紹介

素晴らしきGWともお別れか。
意外と早かったです。

ゴールデンウィーク中に『69』という映画をみました。
ご存知?結構有名なのか?
つまぶき君のやつです。

良い映画だった。笑
最高にバカで羨ましい。

ヒマで打ちひしがれている人(かなり限定されそうだが・・笑)におススメ。

2009-05-05

戦争を否定できっか?

・憲法9条と生命・財産を守る、ということの対立について考えている。
・戦争。戦争が起こったら僕はそれを否定できるか。
・僕は戦争を否定しているのか。

さぁ、謎だらけ。
あなたは、戦争を否定していますか?
これから戦争が起こったら、加担せずに否定し続けることができると思いますか?
たとえそれが、科学技術を使っていて僕らには傷一つすらつけることがなくても?
否定するほうが命にキケンにさらされたら?

誰かが死ぬのは嫌だ。
でもだからって、俺がその「誰か」を守るために命をはれるか?

第三次世界大戦を否定するってのはスゲー難しいかもしれん。

2009-05-03

日本ってなんだ。3

前の投稿(日本ってなんだ。2)から一夜があけた。というか午前中ずーっと寝てたので午前が明けたというべきか。笑

ちょっと昨日の投稿を思い出してみる。

「だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。」

うーん。昨日はこれを「僕の理想」としたけど、というよりむしろ単純に「憲法を守る」ということが結局どういうことを意味するのかの結論だろう。
もし、今後も現行の憲法を遵守していくならこれを実行していくしか日本は道がないはずだ。

しかし、仮に憲法を改正し、海外での国益追求のための活動を許容するならば(今回のソマリア派兵も本当は憲法改正が必要だったはずだ)、それはまた新憲法でいかに定義していくかがとても重要になる。国益追求のために海外に派兵するということが戦争を引き寄せるのは言うまでもない。
ここで政府に改憲を許すということは、ただちに戦争への参加を簡単にすることを意味しているので、改憲が改悪にならないようにするには、どうすればいいのか。

ポイントは何だろう?
①戦争への参加
②海外での(日本の)人命・財産の確保
③世界益への参加

①、③は後ほどにして、②の人命・財産の保障は国民生活に関わるため重要かもしれない。
今回のソマリア沖の海賊のように、日本人の安否が天秤にかけられ、かつ経済的にも日本人の経済生活に関して何らかの関係があるのならば、それを保障するために自衛隊が派遣されことに少々同情できよう。
しかし、この様な派兵は、日本人ではない他国の人間からみて危機感を感じさせることは想像に難くない。しかも、仮に海賊が自衛隊に攻撃して戦闘が起こった際にソマリアの人間がどう思うか。
東南・東アジアの人間はどう思うか。
もし改憲し、海外での人命・財産の確保に走れば、対アジア関係は一気に悪化するだろうし、誤解も受けるだろう。日本人にもし本当に戦争をする気がないのであれば、それ相当の対価を世界の人々に対して見せる必要がある。

それはすなわち、改めて軍事行動に参加することを否定することであるし、軍隊の所持を禁じることであり、恒久平和と世界の安定を願う前文を改めて謳いなおす他ない。自衛隊を規定しなおすのだろう。
海外での人命・財産の確保を自衛隊で行うということはそれ相応のリスクを伴うことであり、現代日本に対する恐怖心や過去の惨禍を思い出させる結果になってはならない。すなわち、「あれ?前の憲法よりもこの新憲法の方が戦争し易そうじゃん?」とは思わせてはならないのである。
だから、①の戦争への参加、を今以上に否定していかなければならないし、③の世界益というものに対しても何が国際協力で何が違うか、ということを明確に規定しなければならない。

ただ、今回の派兵はそれだけでも終わらない気がする。人命・財産のため、というのはあくまでも今後の自衛隊活動のためのイヤラシイ「前例作り」にみえるからだ。
そういうやり方をもししているなら、国民の裏をかく行為であり、とてもキタナイと思う。

もし、本当に人命・財産か憲法か、の二分論ならば伊勢崎賢治もそこまで反発を示さなかっただろう。
そこに自衛隊派遣を今後広げていこうとするような不純な匂いを感じ取ったために、反発したのだ。

きっといくら自衛隊の活動を広げようとしている人たちだって、侵略戦争をできるようにしよう、とまで言っている人はすくない(と信じている笑)はずだ。

両者の合意できる点はないんだろーか。
僕はあくまで、「侵略戦争はしない」「軍隊はもたない」「世界の平和と安定を希求する」といった現憲法の理想が正しいと思っている。だけど、だからといって護憲なのではなくて、その精神が引き継がれるなら改憲されてもいいと思う。


日本って?2

日本は、「交流」で恩恵を受ける豊かな国だ。貿易収支で30年以上黒字を出し続けており、自給率が40パーセントくらいにも関わらず、贅沢なご飯が食べられるのはひとえにその交流のおかげだ。
そう考えると、日本という国は国家間で生じる戦争や、交流全般に関わる問題に対してその問題解決に努力すべきだ(決してなにか行動をせよと言っているのではない、とにかく解決に最良の決断をせよと言っている)。
そうした国際社会、グローバル社会の健康的な交流活動に寄与することが、ひいては日本の国益に繋がるのである。

これは憲法の前文に通じる考え方であると僕は認識している。
今、重大な憲法違反が起きている。
残念ながら、僕は伊勢崎賢治がこの問いかけをしなかったのであれば、この問題には気がつかなかった。
その意味で、以下に書く僕の考え方はあまり大声で叫ぶことが出来るものではないだろう。
その上で、書いてみたい。

今回の派遣は完全に国益の追求のために派兵された。
決定したのは政府である。複雑化した国際社会にあって、国民の意識と乖離した政府という存在をあえて「国民の代表」とは言わない。

海外に国益を求めて軍を派遣するということを少なくとも日本はやってはいけない。
なぜなら、国の最高法規である憲法が禁止しているからだ。
なぜ禁止しているかというと、第二次世界大戦で列強国は国益を海外に求めたために戦争を起こし、多くの惨禍を巻き起こしたため、その反省を生かして作った(誰が作ったかはここでは問題にしない)からだ。

そのような経験から考えると、今回の自衛隊のソマリア沖派遣は戦争を巻き起こす可能性があるといえる。(もちろん、ソマリア沖の状況を考えると、そこまでの影響はないようにみられているが)
ということは、「海賊」といういかにも悪であり先進諸国の共通の敵となっている状況が自衛隊の海外派兵に対する海外・国内からの批判をかわしているけれども、実際にはれっきとした違憲行為だといえる。
だから、今回の派兵は非常に良くないようだ。

一方で、伊勢崎賢治は右翼や世論がこの派兵に対して動かないことを非常に危惧している。
なぜ、世論は動かないのか。
一つは、今回の派遣を、「植民地獲得競争」や「大東亜共栄圏」の様な露骨な国益による派兵とは同一視していないからだろう。
なぜ、それらと同一視しないのか。
なぜなら、今回の派兵は「日本人の生命と財産」がかかっており、それらは日本にとって非常に重要なものだからだ。「国家って何だ1」でも述べたとおり、国家に必要な要素は、国土と国民だ。
それらが脅かされるということは海外であろうと国内であろうと守るべきものである、というのが普通の日本人の発想だろう。
(ここではあまり触れないが、その意識は「自己責任論」が飛び交った過去のイラク人質事件などとは性質を異にする)

しかしながら日本という国家は、「海外であればそれら国益の直接的確保ではなく、世界の安定に貢献することで国益を達成します」という憲法を立てて、日本人の生命・財産の直接的確保を断念した。

今回の場合ならば、ダルフールやソマリアの安定にまず貢献しその問題を解決することで海賊の温床をなくし、その後それらの国家を含む国際的なチームによって日本の貿易の船も平和に通行できるようにするのが、憲法通りのやり方ということになる。
その様な意味で、日本ほど国際社会の安定を必要とする国は他にないかもしれない。

この問題は僕達日本人は一つの問いをつくつけられることになった。
すなわち、憲法を優先するのかそれとも生命・財産の確保を優先するのか、という問いである。

元来、日本は日本人の命を大切にする国だ。世界には無残に殺されている国民がたくさんいて、それを無視したり助長したりする国家があったり、「自分の命は自分で守れ」と言って銃の所持を国民に許容する国家もある。それに比べて日本は国内の治安や保健面に関しては特に気を使うし、人命がかかわる問題には非常にナーバスだ。他の日本人がどう思っているかは別として、僕はそういう日本の人命第一主義の恩恵を受けているし、それはとても有難いことだと思っている。
今回の派兵についても、もし僕が民間の船乗りでソマリア沖でビビっている人間だったら、今回の派兵は非常にありがたく思っていることだろう。日本の皆様に感謝してもしきれないといった感を持っているに違いない。
だが、憲法前文を保持する日本である以上、これは間違いなく違憲である。
船乗りの僕は、泣く泣く南アフリカの超遠回りの航路を取らざるを得なくなるのだろう。他の先進国が護衛されてチョッパヤで目的地に到達するのに対し、日本人の乗る船だけは遠回りで燃料代もかかるし経済的な損害は計り知れないかもしれない。今回はそれだけで済むとしても、今度さらに異たる所で海賊や空賊が氾濫し、日本の飛行機や船以外は皆軍が護送している状態になったとしたら、日本は恐ろしい経済的打撃を受けることになる。
そうなったら、日本は崇高な憲法を立派に履行し、そうなったのだ。胸を張って国際社会で自慢する他ない。

・・・果たしてそんな自慢、できる余裕があるんだろーか。僕は甚だ自信がない。生活が苦しくてきっと憲法改正を声高に叫んでいるに違いない。

だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。

ただ、それはあくまでも現憲法との協調を前提とした理想であり、現実的にはソマリア沖派兵への批判がほぼない様にま逆の方向へ進んでいるとすら思える。
どうしたら上記の僕の理想を実現することができるんだろーか。

<日本って?3へ>

日本って?1

憲法9条は海外への国益による自衛隊の派兵を禁じている。

国益とは何か。
国益とは国にとっての利益にあたるものだ。
では何が国にとっての利益か。
国は根本的には「土地」と「国民」によって成立している。
それら2つが国をなす最低限の要素であり、これらがあれば国家は成立できる。
その国家の利益は、「土地に関するもの」、「国民に関するもの」、「それ以外」の三つに区別できる。
前二者は基本的に「増えるほどいい」と考えられているので、増えれば国益となるだろう。
後一者は上記2つから派生した様々な2次的要素(国のお金、それを生み出す資源などなど)に関する利益だ。
国を管理する機関である政府は、上記利益の増大を目指す役割を持っている。

日本、という国は現代、世界でも有数のお金持ちの国になった。そして現代は科学技術の発展などにより、国と国の間で、国民とその国民が作ったもの、そしてその土地にあったもの(天然資源)の交換が行われている。
地球という一つのコミュニティにあって、そのような「交流」が盛んなことは効率的であり、国土に制限されない豊かな生活を送ることが出来る可能性を持っている。

しかし一方で、そうした交流が対立を生んだり、昔の対立がぶり返したりして、戦争が起こったりする。
交流で豊かになった国は、そうした戦争を解決するのに協力しなければならない。

超大雑把ですが、ここまでが私の理解。
<次のPOSTに続く>

2009-05-02

5月ですね。

今日は11時半におきました。
とっても快適。

週末の楽しみはこの「寝るだけ寝れる」というこった。(いや、平日もかなり寝ているんだけど笑)
幸せ~。

玉川上水に散歩にでかけちゃったりして。
本読みながらウトウトしちゃったりして。

しかもこれから実家でバーベキュー。

なんと。
わたしは幸せです。

ゴールデンウィークは家で唸ることにしまーす。
誰か絵でも書きませんか?