2009-12-16

徒然

色々わかんないことばっかりある。
迷ってもいる。

今日は西谷修先生の授業で、メディアの偏向性について考えた。
メディアとは常にそのジオポリティクスに左右され、その偏りは「メディア(ここでいうメディアは報道かそれに近い)とは中立や客観性を帯びつつも主観である」といった言説以上のものだと。その認識の上にたってメディアをみるべきだと。
彼の授業は、日に日に過激さを増しているように思えるが、それだけにすごく面白い。

オバマのノーベル平和賞受賞演説も面白い。
超大国アメリカの大統領として、二つの戦争の当事者である彼がいかにその批判に回答するかが問われたわけだが、若干拍子抜けした。もちろん、大統領としての立場があり、自国の兵が多く犠牲になっている(もちろんイラクではイラク人がそれ以上に無残に殺されているわけだが)ことへの配慮などをする必要があるから、あまり「平和」に対する彼の意見を述べることのできる状況ではなかった。
演説は評価できないけど、彼の葛藤はなんだかちょっと垣間見た気がした。そんなのないかもしれないけど。


昨日は、ふたご座の流星群を学校帰りの東八道路の歩道橋からみた。
あまりに綺麗だったので、一人でわーわー叫んでしまった。ケニアの星空を思い出す。
直前に図書館でほぼ完成していたレポートが強制終了されてしまったことなど、吹っ飛んだ。

最近は、ある人のことばかり考える。
こんなにずっと思い続けるのは人生初かもしれない。
チャーミングで、まっすぐで、人間っぽい彼女の目に、完全に魅了されてしまった。


人生において重要な決断を前にして、今の僕は慌てふためき、悩み、迷う。
選択することがこんなに苦しいなんて、残念だ。
光は確かに存在するはずだし、夢だってあるはずだし、それに向かうためのステップを今踏めばいいはずなのに。
覚悟しよう、その強さを持とう、と自分に言い聞かせてここ一ヶ月。
まだまだ甘ったれの自分から抜け出せずにいる。



世界はパラドックスに満ちている。
このパラドックスを咀嚼する力を、すなわち考える力を、そしてそれを行動に移し完遂する力を。

さ、消えたレポートをもう一度作るところからだ。

2009-11-25

香港



香港に行く機会がたまたまでき、留学中の友に会う目的もあって行ってきた。
なんとなく、他人のブログを読んでいて自分も書きたい気持ちになったので、ちょっと思ったことをば。

様々な光に満ち溢れた街のなかで、当然のごとく影の存在も本当に少しだが垣間見ることができた。
到着と共に巨大なビル群の洗礼を受け、これでもかというほどのビルの林立感は正直恐怖さえ感じるほどだった。

現地人も近づかないというバックパッカー御用達の重慶マンションに僕らは宿泊。インド人や黒人たちが周りで談笑しているのが印象的だ。

香港では、障害者や老人の物乞いはところどころで見受けられたが、東京にみられるようなトンネルや橋の下ホームレスはいなかった。
しかし、香港にそびえる巨大なビルの気づかないような細い谷間で、彼らは生きていた。彼らは、掃除夫としてビルの管理をし、夜はその谷間の寝床について暮らしている。


香港はもともと漁師の町だった。香港と聞くとかなりの大都会を想像するが、領域内に230ほどの島々を抱えていることからもわかるように、自然にあふれた地域もかなりあるようだ。僕はその一つ、LAMMA ISLANDという比較的大きな島に行った。そこには、蛋民と呼ばれる人たちがいた。彼らはいまだに水上での生活を続けている。


他にも、留学中の我が友に聞くところによると、この蛋民を政府は湾岸地帯に巨大な団地群を立て続けることで陸に上がらせようとしているらしい。蛋民の人たちの波止場には、小さな屋台がいくつか並び優しい明かりを灯している。それに癒された一観光客としては、なんともはがゆい思いがする。
香港の光と影。

一体、どちらが光でどちらが影なのか。そもそも光と影という2元的な表現自体、無理があるのか。
きっと小さくとも人によって求める光は違うはずだ。僕にとっての光は何なんだ。僕にとっての光は、僕にとっての真実。そう、人間臭さや迷いが混在していて、わかりにくくて一見矛盾してたりもするもの。それが僕にとっての真実。そうか、色々なものが混在する香港という街全体が、もしかしたら僕にとっての光なのかもしれない。そして、同じことが影についてもいえるんだろう。

にしても、カタカナを訂正できる人は香港にさえいないのだろうか。まぁ面白いから全然いーけど。笑


2009-11-11

unite!

久しぶりに更新だ!!

great dictator charlie chaplin


すげー。まったく正しいと思う。
でも民主主義のリーダーたちが同じことをいうと、すげーウソっぽく聞こえてしまうのはどうしてだろう。
その時点で、すでにこのチャップリンの演説も破綻しているのかもしれない。

結局、僕たちは富や権力や憎悪や不安に打ち勝てるほど強くないのであって、それはまず認めなければならないよね。
それを認めたうえでの希望をみたいというのは、ちょっと厚かましすぎるのかな?

富や権力や憎悪や不安、そういったものに打ち勝ち、人々の思いを的確にrepresentativeたりうるもの。
サイードは、そういう人間が知識人だという。
知識人は社会の根底にあるものを指摘し、表出しない人々の奥底の思いというものを表現する。
そして共同体に所属しながらも、それを否定し続ける。かっけー

知識人の定義って確かになんとなくこんなんであってほしいって思うけど、現実の社会にあって、
こんな人100年に一度、多くたって10年に1度くらいなものな気がする。

金と名声が大手をふるって歩く今、どうしてこんな生き方ができようか。
人間はビビりだし、怠けるし、憎んだりもする。そんで後悔する。弱い。笑い
それを乗り越えるために、人助けして、金追いかけて、勉強するんだろう。

機械になってしまう人間を否定してはいけない。
知識人になれないことを否定してはいけない。

じゃー何でもアリの社会が正しいのか。
うーん。

僕が思う社会の理想って、やっぱり「カオス」だな。
機械になるな!って言う人がいて、機械でもいいじゃないか!って言う人がいて、どーでもいいって言う人がいて、わかんねー!って悩む人いて、
っていう混乱。
それらがMIXYな感じでグチャグチャなら、(ある程度の抑止力があれば)戦争にもならないしさ。
言いたいこと、自分が思った真実を口にできるって、貴重で超重要なことなんだ。
さらに、自分の生きたいようにまぁある程度はできることも。
うん、戦後の日本人はよく頑張ってくれた!GHQとかも!
きっと、幸せな時代に生まれたんだろうな。おじいちゃんとご先祖様に感謝しなきゃ。

あれ?
結局何がいいたいんだっけ?笑

そーだ。俺、就活を自分がすることに対する正当性を自分に主張したいんだった!笑

ビバ!カオス!!

2009-08-15

政治所感

政治は何のためにあるか?国家を維持するため。

国家は何のためにあるか?国民のため。

国家はどうして作られたのか?秩序を作るため。

国家は何をもって成立するのか?国土と国民がいること

国家を維持するって何?国民と国土を維持するということ

国民を維持すること;国民を生き易くすること(基本的人権・法の下の平等・自由)

政治はなんのためにあるか≒国民を生き易くすることのため


政治は国民を生き易くするためにある。(たぶん)
だけど、国民は国家を維持するためにあるのではない。
国民/人はそれぞれの思うことのために生きている(たぶん、多くは)。
だから国民/人はそれらを実現するために生きるべきだ。
だから国民/人はそれらの実現にあまり役に立たない政治には反対するべきだ。

政治は国家が発展し、基本的人権や法の下の平等・自由などがあまねく国民に確保され続ければその役割を達成する。国民の要望に従い、それ以上の生き易さを国民に提供するならば大きな政府、そうではなく上記役割を達成した時点でその保持のみを追及するならば小さな政府になるのだろう。



日本は既に他国と比べる限り経済的に発展し成熟した国家であるといえる。
しかしながら、ワーキングプア、ホームレス、派遣村、ネカフェ難民、日雇い・・・などという言葉が世間を沸かせ、自分は貧しく人権を侵害されていると主張する人は消えていない。むしろ多くの人がその改善を訴えている。衆院選候補者の93%はそれらに何らかの対策が必要と考えているとのデータもあるらしい。

生き方の自由度すなわち職業選択の自由度や財産保有の自由度が高ければそれだけ格差は生まれるだろう。それは仕方ない。
格差は国家を不安定にするから、それを自由度との兼ね合いをみて埋めなければならない。富裕層は自由度の高い国家を望み、貧困層は格差のない国家を望む。政府はその相反する要望に対し、国家の維持に支障がない程度の多数が納得するような政策を行う。
それができなければ、国民は政府の主体(与党)を否定する。

今の日本はどうやら、より格差のない国家を望む国民が多いとみられているようだ。
格差を減らすために所得再分配を強化し、手当てや税額控除を強化することで格差を改善するとのマニフェスト。雇用政策や日雇いを禁止することで格差是正を訴えるマニフェスト。

一概には言えないが、所得が多いということはそれだけ努力した結果であるということも否定できない。そして現代人にとって所得が多いということは大きな努力のためのインセンティブでもある。
それを否定せずに格差を是正するってのが今の流れのようだ。


これからは、中国や韓国の経済的な台頭によって日本の経済的優位性が低くなり、社会不安が増大しそう。外国人もどんどん流入してくるし。
それも相まって今後法人に対する社会保障の整備を優遇する政策がもっと進みそうだ。そのための財源を国民からどう取るかが焦点のような気がする。
あんまり今後の経済的政治的見通しがよくないので、民主党政権ができても長くは続かないかもしれない。自衛隊の海外派遣は戦闘に関わらない範囲で続く。東アジア共同体とかは早くて20年後くらいだろうか。

どう思う?

2009-08-11

ふたつのスピカと夢

NHKの「ふたつのスピカ」最終回

主人公(宇宙飛行士になる夢を達成して)「夢を達成するのに一番大切なのはなんだと思いますか?」
 ・
 ・
 ・
主 「それは、夢をもつことです」

マジで?
それから、今の自分に特に「夢(どーしても達成したい最終的な目標)」などないことを思い出した。
最近ずーっと夢は何かって考え出そうとしたけれども、残念ながら特にないらしい。

てか夢って皆持ってるの?


今日になってわかったのは、そういう意味での夢とかって自分にとっては美しい幻想に過ぎない。
すげーピッカピッカに光ってるよーに見えてそれ欲しいしって思うけど、僕にとっては土台無理なんだと思った。
誰も彼もが夢をもてるわけじゃない。

だから、夢をもてなんて言うオトナは嫌いだと今思う。
夢をもて、と言うことで、夢それ自身に対する意見や思いを求めるのはいいと思うけど。

自分の中でそれに代わるものとして、今思うのはとにかく楽しめってことだ。
人生楽しんでナンボってのはスゲー真理だって今感じてる。

自分の過去を振り返っても、楽しんでやってたことって、結構成功してる。逆も然り笑
どうやって楽しむのかってのが最近わかんないけど、きっと適当に笑えることをやり続ければ答えは出てくるのだろう。
そしたら夢や目標だって何かしら出てくるだろーしそれは後付けだろうがなんだろうが、本気で信じられるなら夢とやらに変わりないだろう。

そういう意味で、もしそれを「夢」というものに置き換えるんだとしたら、「一生自分が楽しいことをやること」になるんだろーな。
ってことはだよ、俺って結構自分の「楽しい」って思える感覚を信用しているんだな。うん。へー。

まー俺が楽しかったらきっと世界も楽しいだろうという無根拠な自信がある笑

ごめん、引かないでください。。

2009-07-27

神様

久しぶりの更新っす。

テスト、まぁ大体終わった。

イマキュレー・イリバギザの「生かされて」という本を読みました。

ずーっと本棚でお待ちになってらっしゃったんだけど、最近になってやっと読んだ。

ルワンダの虐殺時に生き残ったツチの女性なんだが、凄い。
何が凄いかって、神様を信じる気持ちが凄い。

実際に彼女は神様の声を聞いて、自分の使命を感じ取ったらしい。
日本では、神様をホントに信じていつでも祈りを捧げる人なんてほぼいないし、そんな人はちょっと変わり者と思われがちだ。

「神様はいるかいないかわかんないけど、そんな形而上的なものをあてにするのではなくて、自分でなんとかしよう」、みたいなのが一般的な日本人の見方(俺だけ?笑)な気がする。

その方がrationalだぜ、みたいな。


それが間違っているとは言わない。

が、神様がいたほうが、人間強くなれるのは違いない。
どうしてなのかはよくわからない。
彼女の場合、欲望とか理性とかの範疇を超えている気がする。
3ヶ月間フツの迫害に怯えてトイレに押し込められ、ガリガリに痩せるまでになっても、フツの人々に対する「赦し」を彼女は既に悟っていた。家族をひどい殺し方でやられて、親友や恋人に裏切られてもだ。

シエラレオネや南アフリカやコソボや世界中の紛争があった至る所で、兵士の武装解除の後の被害者との和解をどうするかって問題がすげー深刻で、真実和解委員会やら裁判やらが行われていて、未だに答えが出せない、解決できない問題が山積みだけど、彼女は恨みや憎しみを全部悲しみに変換しているように思える。それを背負うことで乗り越えようとしている。普通の人なら復讐心はもってしかるべきだろう。

アチェにいたときにも感じたけど、神様を信じるのって、そんなに悪いことじゃない。
神様を心の中に信じることで、人間は崇高な存在になれるのかもしれない。
それって、結構腐った自分にとっては希望に見える。

そーいう「メリット」の部分から神様を信じたいとか言う自分はきたねー野郎だ、とも思うけれど。

話は別だけど、イマキュレーとか俺の会ったケニア人って結構素朴な人が多い印象。なんかギスギスしてないというか淡白というか。「大統領になりたい」とか言うやつは多いけれど(特に大学生は)、そういうのがギスギスっていうんじゃなくて、目の前の人との出会いとか繋がりを大事にしてるって感じ。日々の生活を楽しく過ごそうっていう意識がある。日本人の若者の多くが未来志向なら、現在志向というか。

そういうのって、気持ちが穏やかになるし、なんだか楽しい。
ケニアに行きたくなるのは、そーいうのも結構あるのかもしんない。

2009-07-03

アジアプレス野中さん講演メモ

<今日のゼミでのアジアプレスインターナショナル野中さんの講演メモ>

彼自身の歴史
*もともと名誉欲や野望で始めたが、仕事を30年続けていく中で変化してきた
→人々の「生きたいのに殺される」姿を目の当たりにする。
→ジャーナリストとしてこの事実を伝えたい。「卵」の側から伝えたい。
30年続けていくことで、仕事に対する考え方の変化。ある意味達観してる。
それは、今欲望にかられてその仕事を始めたとしてもそれを全面否定すべきでない、というメッセージとして聞こえた。

*マスメディア(テレビ)の報道の偏向
たとえば、イラク戦争における米軍側からの視点に偏重する日本メディア→根拠は「年報2004;NHK放送文化研究所」

*だがしかし、人々のメディアリテラシーの低さが問題である、との野中さんの問いかけ
「戦争で何人死んだ?」
ある意味これは基本情報であり、イラク戦争に加担した日本人としては当然知るべき事実。そしてそれはあるていどメディアを通して伝えられている。
→でも普通知らない。
根本的に同時代に起こる戦争であっても興味がないという日本人の事実。
それは、単純に「遠い」とか「想像できない」という言葉で片付けられるべきではない。
それは、ホームレス問題や、ワーキングプアにも通じる関心の低さ。興味のなさ。
他人、もっといえばマイノリティに対して興味がない。自分のことで精一杯→「社会がギスギスしてる」
→それに対する反発として野中さんの生き方がある。マイノリティを伝えることで、ギスギスした世の中に「自分の人間的豊かさ」を見出したい。野中的ジャーナリズムはあくまで「自分の人生の豊かさ」を得るための手段のようだ。共感した。が、僕にはそこまでできないとも思った。

*報道とは何か
-報道する側
「報道とは、ジャーナリストが見せたいと思うものを流すべきである」
-報道を受け取る側
それらを①論理的に②歴史背景もふまえつつ(③忘れた)、取捨選択していくのが重要。
メディアリテラシーが圧倒的に不足している。

発展して・・・
最近では、世界各地のマスコミのニュースを集めて羅列するマスメディアもある。が、それは中立でも客観報道でもない。単なる情報の羅列にすぎない。

最近の雰囲気を見る限りでは、「なぜその事件・戦争が起こったのか」という原因探求心が圧倒的に不足してる。
-9.11は突然起こったのではない。そこに至るまでには多くの伏線があった。
-北朝鮮は日本にいきなり戦争をしかけてくるわけがない。日本人びびりすぎ。

*おまけ
「知性とは、他人の話をいかに忍耐強くきけるかという能力である」

「日本人は崇高な歴史をもち特別だと思いがちだが、そうでもない」(ある意味当然)

「ギスギスした世の中で金ばかりおいかけていては得られない豊かさがあるが、それがあるということをまず認めるべきです」

「戦争の最初の犠牲者は真実である」(ハイラム・ジョンソン元上院議員、1917年)

2009-06-22

ご先祖様は。。


俺の先祖にはやっぱ漁師がいたらしい。
しかも銚子。

この顔はそういったところからのものか。笑
どーりで日焼けしても痛くもかゆくもならないわけで。

うちのおじいちゃんは証券会社に大学卒業してから就職したらしいんだけど、
2年でやめたらしい。
その後も、セメント会社、蕎麦屋、パン屋、おもちゃ屋などを転々としたようだ。

飽きっぽいのはその辺からか。笑
おじいちゃんがいうに、
「面接はニコッと笑顔を仕掛ければ受からー」
その時のおじいちゃんの笑顔が今でもおもしろい。
おじいちゃんのは特にこっちまで笑ってしまうから不思議。
道端でも笑いかけると絶対相手も微笑んだりニヤッとしたりするらしい。笑

おばぁちゃんはキティーといえない。
「おめーちっちゃい頃ギテーランド行ったの覚えてないんか?」

(私)「は?」

「ギテーランド」

(おじいちゃん)「サンリオランドだーぇ」

おばぁちゃんはロレツが悪いのを気にしてるっぽいので、笑いをこらえつつ何ともないように振る舞いましたとさ。

明日は晴れるかな。

2009-06-20

中野にて

今日は友達のいっち(いちはら)と中野で飲みました。

帰りに路上で絵を売ってるお姉さんにからんでみました。
いっちが彼女とくだらねー(笑)話をしている間、絵をみていましたが
線・色彩ともに曖昧な感じがとても良かった。

感動とかじゃなくて、なんかしゃっきり切られた感じがしました。
そういう感じを感じたくてその絵をみてるんだなーと思った笑

自分で書いてみると思った以上にダメダメで(そりゃご存知の通りそんなセンスないけど)、
その人の絵をみてから自分のをみてみると、自分が出てるなぁと思いました。

この前ゼミで、ゲルニカは芸術かプロパガンダか、みたいな話が出たけれども、
本当はどっちでもなくて、「絵」ってのはきっと単純に自意識の表現(表現しようとする意識があるにせよ、そうでないにせよ)以上のなにものでもない。だから、上記の議論なんかはあくまでそれを見る人我々に関する議論であり、当のゲルニカそのものとは乖離したはなしだと理解できよう。
そのような理解のうえでは、ゲルニカが芸術かプロパガンダかなんて、どーでもいいのかもしれない。

2009-06-15

ONE   第4回 勉強会  「持続可能なまちづくり」

友人と以下のような勉強会をやっています。

もしよければ参加してみては。いろいろなことをやっている人がいて、面白いです。


僕は電車賃さえ今なくて困っているので、ちょっと微妙なところですが・・・。(爆)


*********************

ONE   第4回 勉強会  「持続可能なまちづくり」

現在、世界では数多くの問題が起こっています。 気候変動、貧困、紛争、感染症など、多くの問題を抱えます。一日1$以下で暮らす人が、世界中に数多くいます。どの問題をとっても、一つの分野からのアプローチでは解決できないものとなっています。科学技術、健康、教育、農業、環境、経済。政治・・・それぞれの分野の知恵を出し合い、協力して解決へと走らなければいけない状況にあります。これから私たちがこの地球で、ずっと生きていくためには、「持続可能性」を考えていかなければなりません。これから生まれ来る子供たちが、幸せに暮らせるようにするためには、持続型社会を築いていけねばらないと考えています。


では、それはどうしたら実現できるのでしょうか?

それを、この”ONE” という場所で、一緒になって考えていけたらと思っています。


“ONE”では2月に一度のペースで、勉強会を進めていきます。

また、ウェブの更新を随時、メンバーが行っていきます。

http://plaza.umin.ac.jp/one/


まずは、勉強会に顔を出していただき、一緒に活動するメンバーとなっていただけたらうれしいです。 以下、6月の勉強会の詳細をお知らせします。よろしくお願いします。


日時:6 27日 (土) 14:00 18:00

場所:日本医科大学 教育棟 3階 第3講義室

最寄駅:千代田線 千駄木駅または根津駅 南北線  東大前駅


内容:

1.ニューカマー自己紹介         14:0014:15
2.
勉強会① 「指揮者について」 (山川 儀人) 14:1515:00

3.ONE説明  15:1015:40
4
.勉強会② 「本当に意味のある国際協力を考える」(塩田 勉) 15:4016:20
5
.ONEダネ (大澤 まりえ) 16:3016:40

6. お互いの活動報告 (時間許すまで)         16:4017:40

8. 今後の日程決め                   17:4017:50

9. 諸連絡 その他                   17:5018:00

19:00~  食事会 (飲み会)


なお、当日参加されたい方は、事前の連絡等をこちらからさしあげたいと思うので、以下まで、御連絡ください。よろしくお願いします。


ONE 事務局

one-villageyahoogroups.jp

(*を@に変えてください。)


また、疑問・質問ありましたら、同じく上記までご連絡ください。

気軽にメールをくださいね。


それでは、失礼します。


栃木県 足利赤十字病院 研修医

塩田 勉

tsutomu_19smile@yahoo.co.jp

2009-05-29

今、一生懸命生きなければならない。

一日だって、ムダにはできないはずだ。
今は耐え時だね。


2009-05-26

社会が茶番であることについて

社会は茶番だ。たぶんこれは大方の人が多かれ少なかれおもっていることだろう。
特に周りの多くの就活生をみると、悲鳴のように似た言葉をきく。
その思いに蓋をして「社会」に適合しなければいけない空しさ。
それでもなんとか茶番に入っていかなければならない空しさ。なんともやりきれない。んだろーな。笑
一年後はわが身、かもしれない。

昨日ちょっと(いや大分)背伸びしてジャズバーで話した友人は、村上春樹の「high wall and an egg(壁と卵)」についての授業をうけたらしい。

壁という茶番。そしてそれに適応しなければやっていけないぼくたち。残念すぎるが、仕方ない。
でも、「壁」に、あたかもそれが人間の手を離れた神的な支配者の臭いを感じてしまうのは僕だけだろか(それはかってな思い違い!?かもしれないけれど)。

壁は人間の集合に過ぎない。壁っていうとなんかカッケーけど、あんまりイメージわかない。世界にどんだけ?ってくらい人間がいるから、デカイだけのことだ。
やっぱり人間が増えすぎちゃったのかなぁ。人間が増えれば増えるほど、壁はより高くなり強固になっていくはずだ。

高くなれば高くなるほど、卵と言われる私の頭はついていけないし、そんな真剣に考えてきたわけでもない私の脳みそであっても引き裂かれて混沌とした思いがする。現代においてどれだけの人が悩むだろう。悩むか諦めるか。あたかも二者択一だ。

結局、とりあえず今の僕は、その壁とやらは否定しないことにした。
その壁が多くの卵の生を豊かにしているのは明瞭だし、苦し紛れにでも混沌とした世界を秩序だたせているのがシステムだからだ。

2009年の今、このシステムから完全に抜け出すことは地球上においてほぼ不可能のように思われる。
そしてどんな名誉ある地位であってもこのシステムが茶番である以上、その地位も茶番だろう。

それでも僕は茶番を茶番として見続けていくことで、自分の理性とプライドを保ちたい。仮にその行為も茶番といわれようともだ。
それが僕にとっての壁に対するひとつの反逆である。明日には変わってるかもしれないけれど。笑

だからなんだよ、って話だよね。笑
あー授業行かなきゃーめんでー

2009-05-12

絵を描こう

元気ですかー!!

私は意外と元気です。
とりあえず、剥製を作っている姉から絵の具を借りてきたので絵を描きます。

そうです。ヒマですぜ。

日本人はヒマを楽しめないとか言われてるらしいから、人一倍多趣味な男になります。
どーせ自己満だし別に下手でもかんけーねーし。

かっかっか!!みてろよピカソ!!

2009-05-11

夢や希望がないのに、それらを探そうって気持ちもないのに、ただ話しをしようたってそりゃただのマスターベーションだろう。

夢やらがあれば、もうちょっと可能性はあったんだが。


なんだか今日の私は生まれてきて一番沈んでる感じがする。

2009-05-07

映画ご紹介

素晴らしきGWともお別れか。
意外と早かったです。

ゴールデンウィーク中に『69』という映画をみました。
ご存知?結構有名なのか?
つまぶき君のやつです。

良い映画だった。笑
最高にバカで羨ましい。

ヒマで打ちひしがれている人(かなり限定されそうだが・・笑)におススメ。

2009-05-05

戦争を否定できっか?

・憲法9条と生命・財産を守る、ということの対立について考えている。
・戦争。戦争が起こったら僕はそれを否定できるか。
・僕は戦争を否定しているのか。

さぁ、謎だらけ。
あなたは、戦争を否定していますか?
これから戦争が起こったら、加担せずに否定し続けることができると思いますか?
たとえそれが、科学技術を使っていて僕らには傷一つすらつけることがなくても?
否定するほうが命にキケンにさらされたら?

誰かが死ぬのは嫌だ。
でもだからって、俺がその「誰か」を守るために命をはれるか?

第三次世界大戦を否定するってのはスゲー難しいかもしれん。

2009-05-03

日本ってなんだ。3

前の投稿(日本ってなんだ。2)から一夜があけた。というか午前中ずーっと寝てたので午前が明けたというべきか。笑

ちょっと昨日の投稿を思い出してみる。

「だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。」

うーん。昨日はこれを「僕の理想」としたけど、というよりむしろ単純に「憲法を守る」ということが結局どういうことを意味するのかの結論だろう。
もし、今後も現行の憲法を遵守していくならこれを実行していくしか日本は道がないはずだ。

しかし、仮に憲法を改正し、海外での国益追求のための活動を許容するならば(今回のソマリア派兵も本当は憲法改正が必要だったはずだ)、それはまた新憲法でいかに定義していくかがとても重要になる。国益追求のために海外に派兵するということが戦争を引き寄せるのは言うまでもない。
ここで政府に改憲を許すということは、ただちに戦争への参加を簡単にすることを意味しているので、改憲が改悪にならないようにするには、どうすればいいのか。

ポイントは何だろう?
①戦争への参加
②海外での(日本の)人命・財産の確保
③世界益への参加

①、③は後ほどにして、②の人命・財産の保障は国民生活に関わるため重要かもしれない。
今回のソマリア沖の海賊のように、日本人の安否が天秤にかけられ、かつ経済的にも日本人の経済生活に関して何らかの関係があるのならば、それを保障するために自衛隊が派遣されことに少々同情できよう。
しかし、この様な派兵は、日本人ではない他国の人間からみて危機感を感じさせることは想像に難くない。しかも、仮に海賊が自衛隊に攻撃して戦闘が起こった際にソマリアの人間がどう思うか。
東南・東アジアの人間はどう思うか。
もし改憲し、海外での人命・財産の確保に走れば、対アジア関係は一気に悪化するだろうし、誤解も受けるだろう。日本人にもし本当に戦争をする気がないのであれば、それ相当の対価を世界の人々に対して見せる必要がある。

それはすなわち、改めて軍事行動に参加することを否定することであるし、軍隊の所持を禁じることであり、恒久平和と世界の安定を願う前文を改めて謳いなおす他ない。自衛隊を規定しなおすのだろう。
海外での人命・財産の確保を自衛隊で行うということはそれ相応のリスクを伴うことであり、現代日本に対する恐怖心や過去の惨禍を思い出させる結果になってはならない。すなわち、「あれ?前の憲法よりもこの新憲法の方が戦争し易そうじゃん?」とは思わせてはならないのである。
だから、①の戦争への参加、を今以上に否定していかなければならないし、③の世界益というものに対しても何が国際協力で何が違うか、ということを明確に規定しなければならない。

ただ、今回の派兵はそれだけでも終わらない気がする。人命・財産のため、というのはあくまでも今後の自衛隊活動のためのイヤラシイ「前例作り」にみえるからだ。
そういうやり方をもししているなら、国民の裏をかく行為であり、とてもキタナイと思う。

もし、本当に人命・財産か憲法か、の二分論ならば伊勢崎賢治もそこまで反発を示さなかっただろう。
そこに自衛隊派遣を今後広げていこうとするような不純な匂いを感じ取ったために、反発したのだ。

きっといくら自衛隊の活動を広げようとしている人たちだって、侵略戦争をできるようにしよう、とまで言っている人はすくない(と信じている笑)はずだ。

両者の合意できる点はないんだろーか。
僕はあくまで、「侵略戦争はしない」「軍隊はもたない」「世界の平和と安定を希求する」といった現憲法の理想が正しいと思っている。だけど、だからといって護憲なのではなくて、その精神が引き継がれるなら改憲されてもいいと思う。


日本って?2

日本は、「交流」で恩恵を受ける豊かな国だ。貿易収支で30年以上黒字を出し続けており、自給率が40パーセントくらいにも関わらず、贅沢なご飯が食べられるのはひとえにその交流のおかげだ。
そう考えると、日本という国は国家間で生じる戦争や、交流全般に関わる問題に対してその問題解決に努力すべきだ(決してなにか行動をせよと言っているのではない、とにかく解決に最良の決断をせよと言っている)。
そうした国際社会、グローバル社会の健康的な交流活動に寄与することが、ひいては日本の国益に繋がるのである。

これは憲法の前文に通じる考え方であると僕は認識している。
今、重大な憲法違反が起きている。
残念ながら、僕は伊勢崎賢治がこの問いかけをしなかったのであれば、この問題には気がつかなかった。
その意味で、以下に書く僕の考え方はあまり大声で叫ぶことが出来るものではないだろう。
その上で、書いてみたい。

今回の派遣は完全に国益の追求のために派兵された。
決定したのは政府である。複雑化した国際社会にあって、国民の意識と乖離した政府という存在をあえて「国民の代表」とは言わない。

海外に国益を求めて軍を派遣するということを少なくとも日本はやってはいけない。
なぜなら、国の最高法規である憲法が禁止しているからだ。
なぜ禁止しているかというと、第二次世界大戦で列強国は国益を海外に求めたために戦争を起こし、多くの惨禍を巻き起こしたため、その反省を生かして作った(誰が作ったかはここでは問題にしない)からだ。

そのような経験から考えると、今回の自衛隊のソマリア沖派遣は戦争を巻き起こす可能性があるといえる。(もちろん、ソマリア沖の状況を考えると、そこまでの影響はないようにみられているが)
ということは、「海賊」といういかにも悪であり先進諸国の共通の敵となっている状況が自衛隊の海外派兵に対する海外・国内からの批判をかわしているけれども、実際にはれっきとした違憲行為だといえる。
だから、今回の派兵は非常に良くないようだ。

一方で、伊勢崎賢治は右翼や世論がこの派兵に対して動かないことを非常に危惧している。
なぜ、世論は動かないのか。
一つは、今回の派遣を、「植民地獲得競争」や「大東亜共栄圏」の様な露骨な国益による派兵とは同一視していないからだろう。
なぜ、それらと同一視しないのか。
なぜなら、今回の派兵は「日本人の生命と財産」がかかっており、それらは日本にとって非常に重要なものだからだ。「国家って何だ1」でも述べたとおり、国家に必要な要素は、国土と国民だ。
それらが脅かされるということは海外であろうと国内であろうと守るべきものである、というのが普通の日本人の発想だろう。
(ここではあまり触れないが、その意識は「自己責任論」が飛び交った過去のイラク人質事件などとは性質を異にする)

しかしながら日本という国家は、「海外であればそれら国益の直接的確保ではなく、世界の安定に貢献することで国益を達成します」という憲法を立てて、日本人の生命・財産の直接的確保を断念した。

今回の場合ならば、ダルフールやソマリアの安定にまず貢献しその問題を解決することで海賊の温床をなくし、その後それらの国家を含む国際的なチームによって日本の貿易の船も平和に通行できるようにするのが、憲法通りのやり方ということになる。
その様な意味で、日本ほど国際社会の安定を必要とする国は他にないかもしれない。

この問題は僕達日本人は一つの問いをつくつけられることになった。
すなわち、憲法を優先するのかそれとも生命・財産の確保を優先するのか、という問いである。

元来、日本は日本人の命を大切にする国だ。世界には無残に殺されている国民がたくさんいて、それを無視したり助長したりする国家があったり、「自分の命は自分で守れ」と言って銃の所持を国民に許容する国家もある。それに比べて日本は国内の治安や保健面に関しては特に気を使うし、人命がかかわる問題には非常にナーバスだ。他の日本人がどう思っているかは別として、僕はそういう日本の人命第一主義の恩恵を受けているし、それはとても有難いことだと思っている。
今回の派兵についても、もし僕が民間の船乗りでソマリア沖でビビっている人間だったら、今回の派兵は非常にありがたく思っていることだろう。日本の皆様に感謝してもしきれないといった感を持っているに違いない。
だが、憲法前文を保持する日本である以上、これは間違いなく違憲である。
船乗りの僕は、泣く泣く南アフリカの超遠回りの航路を取らざるを得なくなるのだろう。他の先進国が護衛されてチョッパヤで目的地に到達するのに対し、日本人の乗る船だけは遠回りで燃料代もかかるし経済的な損害は計り知れないかもしれない。今回はそれだけで済むとしても、今度さらに異たる所で海賊や空賊が氾濫し、日本の飛行機や船以外は皆軍が護送している状態になったとしたら、日本は恐ろしい経済的打撃を受けることになる。
そうなったら、日本は崇高な憲法を立派に履行し、そうなったのだ。胸を張って国際社会で自慢する他ない。

・・・果たしてそんな自慢、できる余裕があるんだろーか。僕は甚だ自信がない。生活が苦しくてきっと憲法改正を声高に叫んでいるに違いない。

だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。

ただ、それはあくまでも現憲法との協調を前提とした理想であり、現実的にはソマリア沖派兵への批判がほぼない様にま逆の方向へ進んでいるとすら思える。
どうしたら上記の僕の理想を実現することができるんだろーか。

<日本って?3へ>

日本って?1

憲法9条は海外への国益による自衛隊の派兵を禁じている。

国益とは何か。
国益とは国にとっての利益にあたるものだ。
では何が国にとっての利益か。
国は根本的には「土地」と「国民」によって成立している。
それら2つが国をなす最低限の要素であり、これらがあれば国家は成立できる。
その国家の利益は、「土地に関するもの」、「国民に関するもの」、「それ以外」の三つに区別できる。
前二者は基本的に「増えるほどいい」と考えられているので、増えれば国益となるだろう。
後一者は上記2つから派生した様々な2次的要素(国のお金、それを生み出す資源などなど)に関する利益だ。
国を管理する機関である政府は、上記利益の増大を目指す役割を持っている。

日本、という国は現代、世界でも有数のお金持ちの国になった。そして現代は科学技術の発展などにより、国と国の間で、国民とその国民が作ったもの、そしてその土地にあったもの(天然資源)の交換が行われている。
地球という一つのコミュニティにあって、そのような「交流」が盛んなことは効率的であり、国土に制限されない豊かな生活を送ることが出来る可能性を持っている。

しかし一方で、そうした交流が対立を生んだり、昔の対立がぶり返したりして、戦争が起こったりする。
交流で豊かになった国は、そうした戦争を解決するのに協力しなければならない。

超大雑把ですが、ここまでが私の理解。
<次のPOSTに続く>

2009-05-02

5月ですね。

今日は11時半におきました。
とっても快適。

週末の楽しみはこの「寝るだけ寝れる」というこった。(いや、平日もかなり寝ているんだけど笑)
幸せ~。

玉川上水に散歩にでかけちゃったりして。
本読みながらウトウトしちゃったりして。

しかもこれから実家でバーベキュー。

なんと。
わたしは幸せです。

ゴールデンウィークは家で唸ることにしまーす。
誰か絵でも書きませんか?

2009-04-29

優しすぎんだよお前。


今日友達に言われた。
全くのズボシだけに返す言葉もなかった。笑

ふざけんなー!と学校帰りの多磨霊園で夜な夜な叫び帰りました。はい。
完全に変質者ですね。

草薙くんにファンレターでも書いてあげようか。

さっさと卒論書きます。

2009-04-27

ブログ一新。

ブログの題名とテンプレートを変えてみました。

テンプレートは以下のBLOGGER専用の無料テンプレートから。

題名に合うのと、結構シンプルな感じがいいですね。


題名は、前の「MOVE ON」が段々自分と合わなくなってきたと感じたので、
新しく、「FLAT」と命名。

以前のように色々なところへ行って感じることからちょっと距離を置いて、
デカく言えば世の中を自分の頭で解釈していこう、という気持ちがこもっております。

誰かの意見や常識や環境に左右されずに、”FLAT”なところから物事を見つめていきたいと思います。

なかい2.0、行きまーす!!(アムロ風)

2009-04-26

本紹介

最近読んでいた本で、とても良かったのでご紹介。

『人間の大地』(上下) プラムディヤ・アナンタ・トゥール著

大学の研究室にあったのを2年以上借り続けた上、自宅に埋まっていたという本。苦笑
本の概要はアマゾンのレビューに任せるとして、時代背景を考えて読むと、とても強烈だ。

舞台はオランダ植民地下のインドネシアで、ヨーロッパ傾倒のインドネシア政治社会の中でもがく主人公を追いながら、「本当に正しいもの」というものを読者に見つめさせていく。
今はどうなってるのかわからないが、インドネシアでは発禁処分まで受けている著作であり、それがこの本の力を物語っている。

帝国主義は終わったが社会の構造自体は何も変わらない現代社会において、「金持ちの暴挙」を断罪するこの著作の強い問いかけはまだまだ過去の遺産とはなっていない。

ちなみにサンテグジュペリにも同名の著書があるけど、どうやらプラムディヤは彼の著作に影響を受けて同名の著作を書いたらしい。

明日研究室に返しに行かなきゃ。笑

2009-04-17

今日は久々のゼミだった。
イセザキはやはり面白い。

ゼミの仲間も迷いつつ、自分の新たな方向性へ歩き始めているようだ。
何がしかの想いをもって進もうとする彼らを見ていると、気持ちがいい。もちろんそれだけじゃない。
不安とか悩みは尽きないものだ。きっと未だ言えない悩みが彼らの中にもあるに違いない。それでも、前に進もうとする気持ちは見ていて気持ちがいい。それは、今、ここに生きている僕達の特権かもしれない。

僕はアチェから帰ってきて、未だに悩んでいる。
自分のふがいなさに腹が立つ。

いつも堂々巡り。まるで出口のない迷路のよう。どこから入ったかも忘れた。
ムカつくけど、壁によじ登ってはいでようとする気もない。
迷うけれど死ぬわけじゃない。意外と快適。そんな迷路はとっても陰湿。なんて陰湿なんだろう。

夢や希望なんてクソ食らえ。
そんなものがあるから、迷路に迷ってしまうのだ。
余計な光を与えないで欲しいと願う。

いっそ海外へ逃げてしまおうか。
そしたら僕は「日本人」という意味を得ることが出来る。
それはそれでいーんじゃね。

2009-04-14

息苦しい。

最近、私の友人の間では、誰に聞いても「息苦しい世の中だよね」って合意する。

せっかく、坂本竜馬とか広田弘毅とか白洲次郎とか頑張ってきてくれて享受させていただけてる「自由」とか「平和」ですが、残念ながらスゲー息苦しいっス。

もう何も目指さないって方向性もあっていい気がするんですが、どうやらそうもいかないようです。
自分とその周りだけ良ければいいや、って思えたら、自分自身もっと楽だと思います。

こんだけ「夢とか希望をもつこと」が、現代の規定された一つの信仰かつ悪の権化のように思えてならないのに、そう言いきれずに未だそれを持ちたいと思う自分にすごく腹が立つ。

すべて止めてしまえ、と思う一方で、やめきれないハンパな自分。
そうやって悶々としながら、この先もずっといきていくんだろーか。

人との相性を切に感じる今日この頃です。
突き抜けっぞー

2009-04-12

自然農にちょびっとだけ触れて

この土日、友達がやっている自然農での農業に誘われて、柏まで行ってきた。
集まった人はとても個性的で、とてもオープンマインドで楽しかった。

自然農は、最近注目されているようです。

僕が思ったことは、自然農はきっと換金目的ではない自給自足で暮らしたいと思う人にはうってつけの方法のようにみえた。地球に迷惑をかけないようだしね。

野菜やお米はおいしかった。いや、おいしいというよりもなんか「あるべき味」みたいな感じがした。
参加した会では「おいしい」を連発してきたけど(笑)、今あらためて振り返ると、おいしいというよりは何もかっこつけないとってもシンプルな味だったなぁと感じる。

ただ、その事務所で色々本をチラ見してたんだけど、どうやら収穫率は一般に広まっている農法よりも低いようなので、そういう意味では有機栽培や農薬を使った栽培からこの農法に大変換するのは難しいようだ。

でも、やっぱりとっても健康(な気持ちがする)。

とりあえず色々な人と話せてとっても楽しかったっす。

2009-04-11

久しぶりの更新だ。

更新が大分滞りました。
前回はKLの空港で。
引越ししたり色々バタバタしたものの、来週から始まる授業に向けてちょっと落ち着けたか。

僕はアチェで何を得たのか。
間違いなく、僕は何かが変わった。

でも、その違いってたぶんとてつもなく大きな違いなんだけど、ともすればすぐにでも前の自分に戻ってしまいそうなとても脆いもののように思える。

ほんとに。

僕は人間ってのは周りの環境がすごく大事なんじゃないかと最近思う。
そして、僕らが思っている以上に、それは僕ら一人ひとりにすげー影響を与えている。
海外や文化の違う場所に行くとそれをとても感じる。

僕は今、当然ながらそれにかなり影響されていると思いつつも、できるだけその中だけで生きたくないと思っている。

日本人で日本がやっぱり大好きで、ここで一生暮らそうと思っていても、それだけではない。それだけではない生き方をしたい。

時代や生まれた場所によって左右されない自分自身の判断軸。
それを僕は今一番欲する。それが仮に多くの人々に「僕個人のチョー身勝手極まりない判断軸」と思われようともだ。

そうやって作った「ナカイ判断軸」を基に、運命的に出会う誰かとチームを作って協働したい。
それが出来たなら、本気で金なんかよりずっと大事だと思える。マジで。

だから今はとにかく、「ナカイ判断軸」をしっかり固定したい。
アチェに行ったおかげでその糸口は結構掴んだ気がしてる。(気がしてるだけかもしれないが)

その作業ができるだけでも、ぼくはちょっと日本に生まれたことを感謝している。
宗教や精神文化が強い地域では、(良くも悪くも)そういう問いかけさえ行われないからだ。

2009-03-20

帰ります。

トランジットのクアラルンプール空港からです。
未だに何があったのか、まとめきれていない。
が、間違いなくアチェに来たのはすごく良かった。
密度が濃かったとか、毎日がとても充実していたとか、そういう日ばっかりではなかった。
が、とにもかくにも、自分自身を見つめるチャンスになった。

日本に帰ったら、両親に黙っていたことを打ち明けようか。

僕にとってアチェはとても特別な場所になった。
何が起ころうと、それは絶対に一生変わらないはずだ。
また、何かあったら戻ってきたい。

結局何のために僕はアチェに行ったかとか理論武装的なことは全然できずじまいだけど、
何か、とても大切なものを、僕はアチェから頂いた気がする。
そのうち何かわかるだろう。

とにかく今は今までポッカリとしていた穴が、満たされてきた、そんな気分でいる。

あいまいな文章で申し訳ないけど、まだまだ頭の中は混沌としていて何がなんだかわからずじまい。

さー頑張るぞー!

(インドネシア語で申し訳ありませんが、自分のために現地で使ったレジュメを添付しておきます)

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Hasil Kegiatan di Aceh

 

17/Mar/09

Shotaro Nakai

 

-apa yang saya mengalami?

1.     datangi desa Jambo Manyang, Aceh Selatan

2.     baca Serambi sehari-hari

3.     datangi kampung titi di Aceh Tamiang

4.     berpotret jalan-jalan di kota Banda Aceh

5.     mengajar bahasa jepang di ACC dan beberapa pesantren

6.     bermain di pantai (sabang adalah No.1 di dunia!)

7.     berajar bagaimana kopi uleekareng dimasak di Solong

8.     bergabun English Club di ACC

9.     nongkrong di mana-mana

10. interview kepada mahasiswa PEMA-Unsyiah, KAMMI(komisi aksi mahasiswa muslim Indonesia)

11. interview kepada anggota anggota koalisi NGO

12. bergabun rapat APCWG

13. baca buku-buku

14. bergabun pertemuan kelompok guru-guru bahasa jepang

15. kehidupan di aslama anak-anak

16. bergabun acara pernikahan 2kali!

17. berajar bahasa Aceh dari kak Erni

18. diskusi dengan anggota RPuK

 

·        Hasil untuk skripsi saya (tentang politik aceh)

         -dapat data-data situasi yang sebelum Pemilu09

        Dari interview, nongkron, koran, laporan DLL
        →sekarang, saya berpikir tema skripsi saya adalah;

“bagaimana international society harus menghubungi daerah yang sesudah konflik

 –dengan contoh aceh-”

 

·        Hasil Kecuali untuk sukripsi

  -bisa bergabun dunia islam

  -kehidupan di sini yang sangat beda daripada di jepang

  -kerasaan indonesia sebagai nagara besar

  -pertemuan dengan banyak orang yang baik!!
 

 

 

Terima kasih banyak!

Saya ingin berusaha dengan pengalaman di sini.

 


PEMA-UNSYIAH

①シアクアラ大学学生自治会に参加、会長にインタビューして。

PEMA Unisyiah, Pemurintah Mahasiswa Universitas Syiakuala

 

インタビューの相手:Hendry

 

Q.あなたは今何が必要だと思っていますか。

EUのモニタリング、必要ない。

なぜなら平和だと確認されれば国際的な支援が減ることは間違いないからだ。

 

Q.でもそれは、アチェの一般的な平和を求める人々を見殺しにしていませんか。

そうだね。でもね、EU以外にももっと選択肢があるはずなんだ。

どうしてEUがモニタリングをするアクターとして選ばれたのか、それは州知事の一任にすぎない。他の各党は賛成もいれば反対もいるよ。

―市民の多数:アチェの平和がほしい。

-市民の少数だけどある声:アチェの平和が国際援助を減らす。

 

たくさんの支援は単に無償供与などだけではない、

例えば今入っている多くのNGOがこれから撤退すれば無職が増え、就職難に陥る。それはできるだけ避けなければならないよ。

 

僕たち学生だって、モニタリングをするアクターとして選ばれたっていいわけだ。

 

Q.それは具体的に言うとどんな?

例えば、私たちシアクアラ大学のメンバーはバンダアチェの選挙監視をすることができる。

そうやって地方別にそのようなことができれば別にEUを呼ばなくてもできる。どしてEUなのか、ってのを考えるべきだな。

 

Q.ってことはさ、インドネシアにおいて学生はある程度社会の一つのアクターとして認められているってわけね?

そうだ。学生は社会の一つの根本的な一要素として考えられている。

もちろん学生にはGOLPUTGolongan putih,選挙に無関心な人)が多いが。

 

Q.今回の総選挙プロセスの中で一番重要なことは何ですか

市民の声がアチェを変えることができる、と人々が実感することだ。残念ながら今のアチェではそれは見込めない。そこで私たちはCALEG(候補者)を選ぶ際の注意点として以下の9つの判断基準を用意した。

 

Kriteria Politik Busuk―腐敗した政治家を判断する基準>

1.Anti Syariat Islam dan Pro kapitaris, Liberalis dan komunis

反シャリーア法を謳う者、資本主義、リベラリズム、コミュニズム賛成派

2.Pelanggar Hak Asasi Manusia(HAM)

人々の人権を軽んじる者

3.Terlibat korupsi kolusi nepotisme(KKN)

縁故主義的な癒着、汚職に関わる者

4.Terlibat tindakkan asusila

猥褻な行為に関わる者

5.Melakukan Tindakan premanisme dan intimidasi

やくざ的な行為、脅迫を行う者

6.Melakukan money politik

金権政治を行う者

7.Mendukung komersialisasi pendidikan

教育の商業化を支持するもの

8.Berijazah palsu

履歴を偽る者

9.Melakukan Black Campaign

ブラックキャンペーン(他の候補者の根も葉もない悪口を流すなど)を行う者

 

 

Basry-ムスリム大学生連盟(正式名忘れた)代表

Q,昨日デモ(SERAMBI33日一面、彼らがCALEGともみ合う写真が載っている)がありましたが、それについて教えてください。

学生が社会へのコミットメントをもっと増やすためのわれわれの一つの行動の形だ。

もっと社会の中でわれわれ学生の地位を上げていかなければならない。

民衆がもっと賢く候補者を選ばなければならない。

 

インドネシア語がよくわからず。。

<KAMMIインタビュー」参照>

 


 

〔追記 314日〕

PEMAUNSYIAH311日付けのSERAMBIに載っていたKIPに対する暴動についての話を聞く。

「KAMMI(インドネシアムスリム学生連合)にインタビュー」

 

インタビュー日時:312

15時~16

 

¨                       KAMMIの活動

Ø         名称:Kesatuan Aksi Mahasisiwa Muslim IndonesiaThe Action Group of Indonesian Muslim Students,

 

Ø         会員:インドネシア全国に30,000

アチェ州(NAD)に5000人程

   バンダアチェに500

   バンダアチェで活動的な学生150

 

Ø         バンダアチェ事務局

住所:Jln Utama Rukoh, Dusun Meunasah Tuha, No101, Desa Rukoh, Kecamatan Syiah Kuala, Banda Aceh 23111, NAD

電話:0852-2778-41567

 

Ø         運営資金

インドネシア政府、アチェ政府など公的機関から助成を受けているらしい。少ない額らしいが、少なくともアチェに関しては多くのNGOがもらえるものと同じものを受け取っているとのこと。

 

Ø          追記

ジャカルタを中心に全国に広がる学生組織で、デモのイメージが強いが、政治、経済、教育、貧困などさまざまなキーワードの下に活動している、らしい。

 

Ø         Website: http://www.kammi.org.id(未確認)

日本支部もある、とか?

 

Ø         現在進行中のプログラム

Sosialisasi Pemilu

3月21日には“Semarak Murak “Melukis Demokrasi” ”というイベントを開催する。

党の広告ばかりの街中でウォールペインティングの大会を開き、テーマに基づいて参加者に絵を描いてもらおうというもの。残念ながら20日に帰る私は参加できず。。

(ビラを一枚もらった)

 

¨                       アチェ州支部の支部長Basryにインタビュー

Q.いつからこの団体に参加していますか?

A.大体大学に入りたての02年から。支部長になったのは、077月。

 

Q.この団体のどのようなところに魅力を感じましたか?

A.①学生が主体であること、②団体が革新的かつ先進的でやりがいがあること。

 

Q.あなたはすでに大学を卒業していると聞きましたが、まだこの組織に参加できるんですね?

A.卒業後5年間の間はまだ組織に参加することが認められている。私もまだその範囲の中だ。

 

Q.あなたはこの団体を通して持っている目標はなんですか?

A.Memperbaiki humanitis(人間性の修復←結構インドネシア語的な言い回しで良い訳がみあたらないが。。)」、つまり貧困問題や社会の不公正を解決したいんだ。

 

Q.それはアチェレベル?世界レベル?

A.まずはアチェだ。だがそこからインドネシア全体、ひいては世界全体へと繋がる。

 

Q.なるほど。私もそういった社会問題に関して多少なりとも憤りを感じますが、実際に行動するとなるとあなたの様に人生をそれに没頭させることなど到底できません。身の回りが恵まれているのであまりそういった問題を主体的に見ることができないのだと思います。あなたのその問題意識の高さやモチベーションの強さは一体どこから来るのですか?

A.     それはもちろんアッラーの教えからだ。

Islam Rahmat Bagi Seluruh Alam”という教えが、僕の原動力なんだ。

 

Q.それは確かに私とは違う点ですね。しかしながら、それはここにいるみんな(周りで聞いているメンバー達)も同じですか?

A.(メンバー全員頷く)もちろんだ。

 

Q.そうですか。ところが一つ疑問があります。あなた方の組織は全国に広がる巨大な学生組織の様ですが、インドネシア全国を通してみてもあなたたちのように敬虔なムスリムはまれなように思います。アチェに来る前にジョグジャに3ヶ月ほどいましたが、彼らはお祈りもしないようですし、ジルバブをかぶっている女性もまれなように思います。

A.確かにそのとおりだ。だが、われわれのメンバー(おそらくかなりのコアメンバーを指しているよう)は皆敬虔なムスリムだ。

Q.イスラム教は遍く人助けをすることを教えているのですね。

A.そうだ。世界で騒がれるテロやなんかは皆ムスリムではない。(9.11なんかはアメリカの策略だと考えている人がインドネシアで多数を占めているらしい)

 

Q.それとKAMMIのアチェ支部はアチェ政府から資金提供を受けているとの事ですが、そのことはインドネシア総選挙に合わせてのデモなどに支障はありませんか?政府に対してあまり快くないことができなくなってはいませんか?

A.インドネシアの民主主義はある程度すすんでいる。だからそういった問題は起こらない。大丈夫だ。

 

Q.でも、それはあなた方の都合でしょ?もし政府の立場だったら資金を切られてもおかしくないのでは?それに汚職がはびこっていることで有名なインドネシアですが、それでも民主主義が進んでいるのですか?

A.うーん。まあ大丈夫。

(このことに関しては明確な回答が得られなかった。現実的に資金調達の上で政府に頼るしかなく、また大して政府との間で問題や軋轢が起こっているわけでもないのであまり考えていなかったのではないかと推測している)


 

2009-03-12

占領中?

今朝、インターンしているNGOにいる時々いるおっちゃんと話した。

私「最近どう仕事は?」

彼「仕事がここ2ヶ月ほどないんだよ」

私「え?今そんな職業難?新聞とかの情報の限りではアチェは復興に向けて順調って書いてあったのに」

彼「そんなことはない。仕事は皆ジャカルタやアチェ外から来たインドネシア人にとられてる。普通のアチェ人は下っ端の雑用ばっかりだ。」

私「でもアチェは特別州でアチェ州政府だって他の州にはない特権だって手に入れたじゃないか。津波後に設立されたインドネシア政府直属の復興庁だってこの4月で終わるけど随分うまくいったって、支援国もジャカルタも喜んでいるのに。」

彼「それはまた別。昔は日本人やオランダ人に占領されていた俺たちは、今アチェの外のインドネシア人たちに占領されているんだよ」

彼の話が、悲劇的にちょっと盛られているにせよ、こういう「アチェ外のインドネシア人の流入」はすごく感じる。知り合いのNGO職員たちも多くはアチェ外のインドネシア人だ。

それなりに新聞から読む情報と地元の状況の乖離はそれなりに感じてきたけど、もしかしたら想像以上に問題は大きいのかもしれないと思う。

ニュースを読む限り、日本ふくめ各国政府や国際社会はあまり現地の状況を把握できていない。
国際社会に出るアチェの情報が、ジャカルタのインドネシア政府を通して伝わっているのだとしたら、それも否めないことだし、各国政府がそちらの情報を優先するのも仕方ないことだ。

でも思った以上に情報ってつたわっていないかもしれない。
アチェにはまだ戦後のトラウマや支援の約束破りに悩んでいる人たちが大勢いる。
目先の数字的目標には写らないそういった人たちへの約束はちゃんと果たすべきだろう。

先日もアチェ党関係のカフェへの爆弾投げ込み事件がおきた。

今のアチェは政治的にすごく神経質なものを感じる。

2009-03-03

ユース の力?


今日のアチェは雨です。ジトジトとしています。

僕も少し「ユースの活動」といわれるような、社会問題について議論したり、何か行動を起こしたり、日本でそういう活動に関わっていましたが、ここアチェではそのユースの力は日本でのそれよりも幾倍か影響力があるのかもしれません。

以下のアドレスは今日のアチェ地方新聞「SERAMBI」の一面です。

一番大きな写真に注目していただきたい。
何かもみあっているようにみえますが、これはアチェの国立大学、シアクアラ大学内で4月のインドネシア総選挙(市議会、県議会、国会など4つのディメンションの議員選挙があります)に合わせて候補者達が話し合いを持っているところに学生が突っ込んだ、という感じです。僕の適当なインドネシア語なので間違っているかもしれませんが。

彼らの目をみて、本当に頭の下がる思いがしました。
4年前の和平協定の際にも、学生が非常に大きな活躍をアチェではしています。

こうして新聞に載るということは事前になんらかのメディアアピールをしていたのでしょうか。彼らがどういう思いを持っていて、どう行動しようとしているのか。同じ学生(一応だけどw)として興味しんしんです。

できれば、彼らとコンタクトを取りたい。
知り合いの上記大学生達と明日大学に行ってきます。

2009-03-02

最近の政治状況は。


アチェで政治に関わる犯罪が増えていると聞きます。
夜中もあまり外に出ない方がいいとか、まわりにも緊張感が広がり始めています。
というのも、4月9日のインドネシア総選挙のため。

あまり総選挙に関する不安は多くのアチェ市民の間にまだ毅然と残っています。
そう簡単に抜け切れるものではないでしょう。

その一方で、この平和になった今のアチェで、それを謳歌している人々をたくさんみかけます。
たとえば、夜中に皆で夜空の喫茶店に集まって、話したり、欧州のサッカーをみたり。
州都のバンダアチェから故郷にも身体のキケンを犯すことなく、自由に帰ることだってできます。

そういういわば当たり前のことが、30年以上もの間制約され続けていたのだから、平和の開放的な雰囲気がこのバンダアチェの街にはあふれているように感じます。

このアチェでは、紛争は「制約」という意味に近いように感じます。話を聞く限り色々な行動が制約されてとても窮屈だったことが誰の話を聞いても印象的です。

今、またアチェは小さな岐路にあります。
4月の選挙で、選挙プロセスが不明瞭であったり、何らかの恣意的な行動が表面化すればすぐに紛争に舞い戻りそうな、そんな緊張感を感じます。

紛争したいならすればいい。けど、そこに利益とは無関係の被害者がいるならば、その紛争を絶対に正当化することはできない。…というのは、僕が紛争を勉強し始めた最近から思うことです。

一つ朗報ですが、
EU委員会(EU comission) のアチェ事務所は4月で閉鎖の予定でしたが、(おそらく州知事の要請で?)選挙期間中も活動を継続するそうです。これは良かったですね。
はたして、外的な選挙監督機関として認知された活動ができるのか、するのかは、よくわかりませんが今後に注目です。
AFPのニュースを下にのっけたのでよかったらどうぞ。

そうそう、その関係で、EUのホームページを除いて見ましたが、とてもポップな感じで驚きました。笑
プレスリリースには、ポッドキャスティングやRSSも使われていてビックリ。

**********
JAKARTA, March 1 (AFP) -- A European Union delegation visiting
Aceh said Sunday the EU was ready to send electoral observers to
the Indonesian province's poll next month.

"I think observers are important to monitor elections in Aceh,
to support a sustainable peace process," said EU parliamentarian
Hartmut Nassauer, on a visit with other members of the European
parliament and Commission.

"We hope that (upcoming) elections in Aceh will be held in fair,
free and without intimidation and hope that police can secure
the process of election in the province," he told reporters.

The deal between Aceh rebels and Jakarta -- which was reached in
the aftermath of the 2004 Asian tsunami -- ended nearly three
decades of separatist conflict that cost around 15,000 lives.

It brought former rebels into power in local government and
allowed the establishment of provincial political parties, but
unemployment is high and foreign aid money is running out after
the tsunami rebuilding effort.

The province on the northern tip of Sumatra island saw a spate
of low-level political and criminal violence, including
kidnappings, shootings and grenade attacks on Aceh's party
offices.

Aceh will choose a new provincial parliament on April 9, when
legislative elections are held across Indonesia.

"The (European) Commission has said that we are ready to send
observers to Aceh but we're still waiting for the invitation
from the (Indonesian) government," Nassauer added.

Indonesian President Susilo Bambang Yudhoyono said during a
recent visit to Aceh that foreign monitors would be allowed into
the province to observe the polls and report on any intimidation
or violence.


2009-02-27

こけた

バイクでこけました。
いやー要注意。

最近、失敗が多いので、これ以上の失敗はもうないかなー。

2009-02-26

緊張感。


アチェの総選挙をあと一ヶ月半後に控え、人々の間にも緊張感が増してきたように見える。

今回の総選挙は、ヘルシンキ合意で武装解除後では初めての総選挙。
国際社会の介入を経て民主化プロセスを踏んで、武器ではなく議論により解決を目指す。
そう、約束したはずだ。

今回の選挙でそれが試される。

果たして、本当にカラシニコフの力を借りずに選挙を乗り切れるのか。

国際社会の興味はとっくに離れて見向きもされていないようだが、
アチェの「国際社会」の主役、アハティサーリ元フィンランド大統領はそんなに悪いやつでもないらしい。

今週はユドヨノ大統領がアチェに2日ほど来て、今は明日までアハティサーリさんが来ている。

どうしてこの時期に二人とも訪れたのか。ユドヨノ大統領の動向に関して詳しいことは知らないけれど、
少なくともインドネシア国内の政治的な意味ではアチェへの注目度は決して低くないといえるようだ。