2008-03-02

Nobody knows...『誰も知らない』

もう皆さんは見ましたか?
昨日初めてDVDを借りてみましたが、とても感動しました。
もう、ここ数年で僕の中ではトップ3に入るぐらい、良かった。


久々に頭をがつーんと殴られた。そんな映画だった。

ストーリー自体に特に際立ったポイントがあるわけではない。
内容も、オトナに捨てられた子供が自力で生きる話で、一応「事実」としてはそんなことも知っていた、ハズだった。

何よりもショックだったのは、今までの自分の人生と間逆の内容だからからもしれない。
今までの自分は、学校に行くのは当たり前だったし、その上で塾にも通い、私立に通った。家庭教師をつけてもらっていた時期もあった。
今でも、実家で大学に親の金で通い、時には金ももらう。その金で人に会い、サークルの活動をし、海外旅行にも行った。
それが、「甘い」ってわかっていても、いつの間にか、それが当たり前になっていた。わかっていても、知っていても、実際オモテにでてくるもんは何も変わってないんすよね。
「社会に良いことをしてるんだ」っつー一種の欺瞞と「国立大学で実家でチャリ通」っつー驕りで、自分でその「親に養ってもらってる」という根本的な事実をぼやかしていたと思う。

アフリカの人たちを助けたい、とか、将来的にもっと格差を減らしたい、とかそのための活動をするのはいいけど、今、思うのは、自分独りでさえ自分で養うことが出来ないヤツがそんなこと語るな、ってことだ。
もちろん、色々と活動していくのは大事だけど、その辺の自覚をしないってのは、大バカもんに違いねぇ。
実際、そういう俺の生き方自体が、格差を広げている。

これは、今まですげー嫌いだった、オトナの偽善ってやつだ。

それと、もう一件。正直にいう。
やっぱどっかで感じてる。自分はそういう貧しい人を助ける、エライ人だっつーエゴ。助けを乞う彼らより偉いというエゴ。
またそこから生まれる自己満と過剰な自意識によって自分を正当化しようとするエゴを感じる。
本当にサイテーだ。どんだけ汚いんだろう。

人助けは、相手を尊重することで初めて人助けとなる。それなのに、自分のエゴで人助けとしちゃー、助けられる方はたまったもんじゃないだろう。
つーことは目の前の人を好きになろうとする、理解しようとすることって結構大事なんだなー。

今神谷町のとある高層ビルの7階でインターンをしているんだけど、東京タワーのそばで、まわりはちょっとリッチそうなビジネスマンやOLばかりだ。
その街を歩いていたときに、たまたまコンビニの裏でカップ麺を食べているホームレスをみた。
そのときに反射的にすごく残忍な感覚を感じた。「俺はおまえらとは違う」まるでそんな感覚。
ホームレスと僕の違いなんて、大体は持っている金の額だけだ。ヒルズ族とホームレスを区別するものはもっている金だけだ。その他の優劣の関係ってないよね。
自分の能力と運でのしあがったヒルズ族ならまだしも、僕の金の大半は親のものだ。それでも一生懸命生きているホームレスに今の僕は自慢できるほどのものだろうか。
それでも、心のどこかで感じてしまったあの感覚が忘れられない。自分の中にもそんな残忍な心があり、それがちょくちょく顔を出してくる。マジなさけねーです。
結局、今の自分があるのは、親の人格と金の賜物でしかない(いや、ごく一般的な家庭なんですよ)。
そして、この映画の子供たちと同じように、どれだけ多くの子供たちが、アフリカで、世界で、自分で生きようとしているだろう。
果たして、今の自分はそんな彼らに勝るほどの生き方をしているのだろうか。つーか生き方って比べられるのかなー。

金や身なりからしかその人間の価値を判断できないのは本当に悲しいことだ。

この映画は、想像力のない自分とアフリカを繋いでくれた非常に良い映画だ。
まず、自分の矛盾を正そう。
そして、色んなことを「知る」ってとこから、もっと自分が当事者になっていくことに集中していきたいな。

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