2008-10-27

インドネシア到着

インドネシアのYOGYAKARTA(通称ジョグジャ)に着いた。
マレーシアで一泊、面倒だったが無事着いて良かった~

入管で1時間以上待たされたり、早くもインドネシアの洗礼を浴びた。
ジョグジャは日本で言う京都みたいな街。
寺院が数多くある。数年前にあった地震で壊滅的な打撃を受けた。
街は途上国にありがちなグチャっとしたアスファルトで固められている。

数日前にボストンに行ったからすんごく感じんのが、街並みの違いだ。
ボストンは昔ながらって感じのオールドヨーロピアンちっくな建物だったが並んで、リアルディズニーランドとでもうような幻想的な雰囲気で誰もが酔える。けど、このジョグジャはなんかゴチャゴチャ汚い。

まー言ってしまえば、街の整備とかにどれだけ金が払えるかってとこに尽きるんだと思うけど、今問題にしたいのはそれが「文化」なのかどうなのかってことだ。
ボストンの今の街がどういう過程で形成されたか知らないから何とも言えないけど、あの美しい街並みが、観光客を喜ばせるための景観とアメリカを感じたいアメリカ人だけのために壊れかけののボロヤを何千何億とかけて修復して作られているとしたら、一体僕が感じたあの感動はなんだったんだろう。
いくら金を積もうと、そこには何かしらの「薄っぺらさ」みたいな感傷が残る。めっちゃ感動したのにね。
そういうのも文化の一つの形なのかな。なんだか薄っぺらい感じもするけど、それも文化なんだって気もする。

今の途上国みたいに、多くの人が必死に生活たててたりする時代の文化って、そこに生きる人の実生活に即していて違和感がなくてなんかリアルだ。それが今まで歴史とかで習ってきたいわゆる「文化」って感じがする。
一方でボストンやヴェルサイユ宮殿みたいにある程度金が余ってくると、「エゴ」と資金力が文化を作る。

どっちもその時代を象徴する文化なんだろう。
でも僕が美しい観光地やボストンに行きたいと思う一方でインドネシアや途上国に行きたいと思うのは、そういうリアルを感じたいってのもあるのかもしれない。

こんなことを言うと反感を買うかもしれないが、貧しい人の方がよっぽど「リアル」っていうか人間味を感じる。
友達でもホームレス支援とかやってたり、途上国に行ったりする奴がそれなりにいるけど、きっとそんな風な気持ちが活動に結びついてたりするんじゃねーかな。
Posted by Picasa

2 件のコメント:

achora さんのコメント...

お、マレーシア航空だ☆
無事に着いて良かった。
半年後に色々新しい経験をしてきたカルロスに会えるのを楽しみにしてるよ^^
インドネシア語教えてね!!笑

お互い頑張ろーーーう!!

CARLOSI さんのコメント...

さわちゃん

ふふふ~
おいーっす

俺も就活で一味ピリッときてる米川・・・いや佐和ちゃんに会えるのを楽しみにしてるぜ~い

そーいや今日東ティモール人に会った!