2009-07-27

神様

久しぶりの更新っす。

テスト、まぁ大体終わった。

イマキュレー・イリバギザの「生かされて」という本を読みました。

ずーっと本棚でお待ちになってらっしゃったんだけど、最近になってやっと読んだ。

ルワンダの虐殺時に生き残ったツチの女性なんだが、凄い。
何が凄いかって、神様を信じる気持ちが凄い。

実際に彼女は神様の声を聞いて、自分の使命を感じ取ったらしい。
日本では、神様をホントに信じていつでも祈りを捧げる人なんてほぼいないし、そんな人はちょっと変わり者と思われがちだ。

「神様はいるかいないかわかんないけど、そんな形而上的なものをあてにするのではなくて、自分でなんとかしよう」、みたいなのが一般的な日本人の見方(俺だけ?笑)な気がする。

その方がrationalだぜ、みたいな。


それが間違っているとは言わない。

が、神様がいたほうが、人間強くなれるのは違いない。
どうしてなのかはよくわからない。
彼女の場合、欲望とか理性とかの範疇を超えている気がする。
3ヶ月間フツの迫害に怯えてトイレに押し込められ、ガリガリに痩せるまでになっても、フツの人々に対する「赦し」を彼女は既に悟っていた。家族をひどい殺し方でやられて、親友や恋人に裏切られてもだ。

シエラレオネや南アフリカやコソボや世界中の紛争があった至る所で、兵士の武装解除の後の被害者との和解をどうするかって問題がすげー深刻で、真実和解委員会やら裁判やらが行われていて、未だに答えが出せない、解決できない問題が山積みだけど、彼女は恨みや憎しみを全部悲しみに変換しているように思える。それを背負うことで乗り越えようとしている。普通の人なら復讐心はもってしかるべきだろう。

アチェにいたときにも感じたけど、神様を信じるのって、そんなに悪いことじゃない。
神様を心の中に信じることで、人間は崇高な存在になれるのかもしれない。
それって、結構腐った自分にとっては希望に見える。

そーいう「メリット」の部分から神様を信じたいとか言う自分はきたねー野郎だ、とも思うけれど。

話は別だけど、イマキュレーとか俺の会ったケニア人って結構素朴な人が多い印象。なんかギスギスしてないというか淡白というか。「大統領になりたい」とか言うやつは多いけれど(特に大学生は)、そういうのがギスギスっていうんじゃなくて、目の前の人との出会いとか繋がりを大事にしてるって感じ。日々の生活を楽しく過ごそうっていう意識がある。日本人の若者の多くが未来志向なら、現在志向というか。

そういうのって、気持ちが穏やかになるし、なんだか楽しい。
ケニアに行きたくなるのは、そーいうのも結構あるのかもしんない。

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