2009-05-26

社会が茶番であることについて

社会は茶番だ。たぶんこれは大方の人が多かれ少なかれおもっていることだろう。
特に周りの多くの就活生をみると、悲鳴のように似た言葉をきく。
その思いに蓋をして「社会」に適合しなければいけない空しさ。
それでもなんとか茶番に入っていかなければならない空しさ。なんともやりきれない。んだろーな。笑
一年後はわが身、かもしれない。

昨日ちょっと(いや大分)背伸びしてジャズバーで話した友人は、村上春樹の「high wall and an egg(壁と卵)」についての授業をうけたらしい。

壁という茶番。そしてそれに適応しなければやっていけないぼくたち。残念すぎるが、仕方ない。
でも、「壁」に、あたかもそれが人間の手を離れた神的な支配者の臭いを感じてしまうのは僕だけだろか(それはかってな思い違い!?かもしれないけれど)。

壁は人間の集合に過ぎない。壁っていうとなんかカッケーけど、あんまりイメージわかない。世界にどんだけ?ってくらい人間がいるから、デカイだけのことだ。
やっぱり人間が増えすぎちゃったのかなぁ。人間が増えれば増えるほど、壁はより高くなり強固になっていくはずだ。

高くなれば高くなるほど、卵と言われる私の頭はついていけないし、そんな真剣に考えてきたわけでもない私の脳みそであっても引き裂かれて混沌とした思いがする。現代においてどれだけの人が悩むだろう。悩むか諦めるか。あたかも二者択一だ。

結局、とりあえず今の僕は、その壁とやらは否定しないことにした。
その壁が多くの卵の生を豊かにしているのは明瞭だし、苦し紛れにでも混沌とした世界を秩序だたせているのがシステムだからだ。

2009年の今、このシステムから完全に抜け出すことは地球上においてほぼ不可能のように思われる。
そしてどんな名誉ある地位であってもこのシステムが茶番である以上、その地位も茶番だろう。

それでも僕は茶番を茶番として見続けていくことで、自分の理性とプライドを保ちたい。仮にその行為も茶番といわれようともだ。
それが僕にとっての壁に対するひとつの反逆である。明日には変わってるかもしれないけれど。笑

だからなんだよ、って話だよね。笑
あー授業行かなきゃーめんでー

2 件のコメント:

S さんのコメント...

むかし“ANTZ”とか見て似たようなことをちょっと考えたけど、まあ良く分からんね。

CARLOSI さんのコメント...

よくわからん。
きっと自分のミッションやビジョンがみえてきたら、全て茶番であり、かつ生きる力も湧きまくりな状態なんだろーけど。
どうやら努力が足りないようだ。って最近気付いた笑