2009-05-03

日本って?2

日本は、「交流」で恩恵を受ける豊かな国だ。貿易収支で30年以上黒字を出し続けており、自給率が40パーセントくらいにも関わらず、贅沢なご飯が食べられるのはひとえにその交流のおかげだ。
そう考えると、日本という国は国家間で生じる戦争や、交流全般に関わる問題に対してその問題解決に努力すべきだ(決してなにか行動をせよと言っているのではない、とにかく解決に最良の決断をせよと言っている)。
そうした国際社会、グローバル社会の健康的な交流活動に寄与することが、ひいては日本の国益に繋がるのである。

これは憲法の前文に通じる考え方であると僕は認識している。
今、重大な憲法違反が起きている。
残念ながら、僕は伊勢崎賢治がこの問いかけをしなかったのであれば、この問題には気がつかなかった。
その意味で、以下に書く僕の考え方はあまり大声で叫ぶことが出来るものではないだろう。
その上で、書いてみたい。

今回の派遣は完全に国益の追求のために派兵された。
決定したのは政府である。複雑化した国際社会にあって、国民の意識と乖離した政府という存在をあえて「国民の代表」とは言わない。

海外に国益を求めて軍を派遣するということを少なくとも日本はやってはいけない。
なぜなら、国の最高法規である憲法が禁止しているからだ。
なぜ禁止しているかというと、第二次世界大戦で列強国は国益を海外に求めたために戦争を起こし、多くの惨禍を巻き起こしたため、その反省を生かして作った(誰が作ったかはここでは問題にしない)からだ。

そのような経験から考えると、今回の自衛隊のソマリア沖派遣は戦争を巻き起こす可能性があるといえる。(もちろん、ソマリア沖の状況を考えると、そこまでの影響はないようにみられているが)
ということは、「海賊」といういかにも悪であり先進諸国の共通の敵となっている状況が自衛隊の海外派兵に対する海外・国内からの批判をかわしているけれども、実際にはれっきとした違憲行為だといえる。
だから、今回の派兵は非常に良くないようだ。

一方で、伊勢崎賢治は右翼や世論がこの派兵に対して動かないことを非常に危惧している。
なぜ、世論は動かないのか。
一つは、今回の派遣を、「植民地獲得競争」や「大東亜共栄圏」の様な露骨な国益による派兵とは同一視していないからだろう。
なぜ、それらと同一視しないのか。
なぜなら、今回の派兵は「日本人の生命と財産」がかかっており、それらは日本にとって非常に重要なものだからだ。「国家って何だ1」でも述べたとおり、国家に必要な要素は、国土と国民だ。
それらが脅かされるということは海外であろうと国内であろうと守るべきものである、というのが普通の日本人の発想だろう。
(ここではあまり触れないが、その意識は「自己責任論」が飛び交った過去のイラク人質事件などとは性質を異にする)

しかしながら日本という国家は、「海外であればそれら国益の直接的確保ではなく、世界の安定に貢献することで国益を達成します」という憲法を立てて、日本人の生命・財産の直接的確保を断念した。

今回の場合ならば、ダルフールやソマリアの安定にまず貢献しその問題を解決することで海賊の温床をなくし、その後それらの国家を含む国際的なチームによって日本の貿易の船も平和に通行できるようにするのが、憲法通りのやり方ということになる。
その様な意味で、日本ほど国際社会の安定を必要とする国は他にないかもしれない。

この問題は僕達日本人は一つの問いをつくつけられることになった。
すなわち、憲法を優先するのかそれとも生命・財産の確保を優先するのか、という問いである。

元来、日本は日本人の命を大切にする国だ。世界には無残に殺されている国民がたくさんいて、それを無視したり助長したりする国家があったり、「自分の命は自分で守れ」と言って銃の所持を国民に許容する国家もある。それに比べて日本は国内の治安や保健面に関しては特に気を使うし、人命がかかわる問題には非常にナーバスだ。他の日本人がどう思っているかは別として、僕はそういう日本の人命第一主義の恩恵を受けているし、それはとても有難いことだと思っている。
今回の派兵についても、もし僕が民間の船乗りでソマリア沖でビビっている人間だったら、今回の派兵は非常にありがたく思っていることだろう。日本の皆様に感謝してもしきれないといった感を持っているに違いない。
だが、憲法前文を保持する日本である以上、これは間違いなく違憲である。
船乗りの僕は、泣く泣く南アフリカの超遠回りの航路を取らざるを得なくなるのだろう。他の先進国が護衛されてチョッパヤで目的地に到達するのに対し、日本人の乗る船だけは遠回りで燃料代もかかるし経済的な損害は計り知れないかもしれない。今回はそれだけで済むとしても、今度さらに異たる所で海賊や空賊が氾濫し、日本の飛行機や船以外は皆軍が護送している状態になったとしたら、日本は恐ろしい経済的打撃を受けることになる。
そうなったら、日本は崇高な憲法を立派に履行し、そうなったのだ。胸を張って国際社会で自慢する他ない。

・・・果たしてそんな自慢、できる余裕があるんだろーか。僕は甚だ自信がない。生活が苦しくてきっと憲法改正を声高に叫んでいるに違いない。

だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。

ただ、それはあくまでも現憲法との協調を前提とした理想であり、現実的にはソマリア沖派兵への批判がほぼない様にま逆の方向へ進んでいるとすら思える。
どうしたら上記の僕の理想を実現することができるんだろーか。

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