2009-05-03

日本ってなんだ。3

前の投稿(日本ってなんだ。2)から一夜があけた。というか午前中ずーっと寝てたので午前が明けたというべきか。笑

ちょっと昨日の投稿を思い出してみる。

「だから、今僕ら日本人が憲法と共に歩むには、敵を作らず世界の平和を脅かす対立の仲裁に介入してグローバル社会の交流を堰きとめるものを未然に防ぎ、せっせと自給率をあげていくことだ。」

うーん。昨日はこれを「僕の理想」としたけど、というよりむしろ単純に「憲法を守る」ということが結局どういうことを意味するのかの結論だろう。
もし、今後も現行の憲法を遵守していくならこれを実行していくしか日本は道がないはずだ。

しかし、仮に憲法を改正し、海外での国益追求のための活動を許容するならば(今回のソマリア派兵も本当は憲法改正が必要だったはずだ)、それはまた新憲法でいかに定義していくかがとても重要になる。国益追求のために海外に派兵するということが戦争を引き寄せるのは言うまでもない。
ここで政府に改憲を許すということは、ただちに戦争への参加を簡単にすることを意味しているので、改憲が改悪にならないようにするには、どうすればいいのか。

ポイントは何だろう?
①戦争への参加
②海外での(日本の)人命・財産の確保
③世界益への参加

①、③は後ほどにして、②の人命・財産の保障は国民生活に関わるため重要かもしれない。
今回のソマリア沖の海賊のように、日本人の安否が天秤にかけられ、かつ経済的にも日本人の経済生活に関して何らかの関係があるのならば、それを保障するために自衛隊が派遣されことに少々同情できよう。
しかし、この様な派兵は、日本人ではない他国の人間からみて危機感を感じさせることは想像に難くない。しかも、仮に海賊が自衛隊に攻撃して戦闘が起こった際にソマリアの人間がどう思うか。
東南・東アジアの人間はどう思うか。
もし改憲し、海外での人命・財産の確保に走れば、対アジア関係は一気に悪化するだろうし、誤解も受けるだろう。日本人にもし本当に戦争をする気がないのであれば、それ相当の対価を世界の人々に対して見せる必要がある。

それはすなわち、改めて軍事行動に参加することを否定することであるし、軍隊の所持を禁じることであり、恒久平和と世界の安定を願う前文を改めて謳いなおす他ない。自衛隊を規定しなおすのだろう。
海外での人命・財産の確保を自衛隊で行うということはそれ相応のリスクを伴うことであり、現代日本に対する恐怖心や過去の惨禍を思い出させる結果になってはならない。すなわち、「あれ?前の憲法よりもこの新憲法の方が戦争し易そうじゃん?」とは思わせてはならないのである。
だから、①の戦争への参加、を今以上に否定していかなければならないし、③の世界益というものに対しても何が国際協力で何が違うか、ということを明確に規定しなければならない。

ただ、今回の派兵はそれだけでも終わらない気がする。人命・財産のため、というのはあくまでも今後の自衛隊活動のためのイヤラシイ「前例作り」にみえるからだ。
そういうやり方をもししているなら、国民の裏をかく行為であり、とてもキタナイと思う。

もし、本当に人命・財産か憲法か、の二分論ならば伊勢崎賢治もそこまで反発を示さなかっただろう。
そこに自衛隊派遣を今後広げていこうとするような不純な匂いを感じ取ったために、反発したのだ。

きっといくら自衛隊の活動を広げようとしている人たちだって、侵略戦争をできるようにしよう、とまで言っている人はすくない(と信じている笑)はずだ。

両者の合意できる点はないんだろーか。
僕はあくまで、「侵略戦争はしない」「軍隊はもたない」「世界の平和と安定を希求する」といった現憲法の理想が正しいと思っている。だけど、だからといって護憲なのではなくて、その精神が引き継がれるなら改憲されてもいいと思う。


1 件のコメント:

S さんのコメント...

改憲はかまわないけど、それが改悪とならないものが作り、そしてそれを通せる人達が今の日本にいるんだろうか?リスクがでかすぎると思う。「前例作り」というのは間違いないんじゃないかな。改憲の機運もあがってきてるみたいだし、なんだかいろいろ嫌な方向に行ってる気がするよ。