2008-12-01

インドネシアと宗教

インドネシアは、ムスリムが世界最多の国として知られているけれでも、宗教がたくさんある。
もちろん、大方はイスラム教徒なのだけれど(9割方)、カトリック、プロテスタント、独立教会、ヒンドゥー、仏教など本当にさまざまな宗教がある。
国の根幹である、パンチャシラ(インドネシア5原則)のひとつには、「多様性の中の統一」という言葉があって、数え切れないほどの言語、民族を束ねる必要のあるインドネシアにとって、時にそれは美しく、時にそれは皮肉と批判をもって語られてきた。

こういう宗教や民族、言語が多種にわたる国に来ることは、日本人である自分にとってとっても興味がそそられることだったのだけれど、最近まで訳一ヶ月ちょい暮らしてあまりそれらの宗教の多様性について感じる機会はない。理由としては、
*都会に住んでいるため、生活がすでに現代化している
*知り合いは大学生が多くを占めるため、あまり参考にならない
*まだいる期間自体が短い

まぁちょっとがっかりしてはいるのだけれど、宗教を考えるにはとてもいい機会になっている。
*なぜ生活が現代化すると、一般的に宗教色は薄くなるのか。
*日本は少数民族でそれはいいことか。
*インドネシアの宗教を束ねることは可能か。

インドネシアのムスリムは、ムスリムといえど本当に信仰のレベルの差が広い。
インドネシア西端のBANDA ACEHなどは、とても厳格なムスリムで、昼間のお祈りの時間帯は外でブラブラするのは控えるべき、というほどらしい。
一方ここの大学生は、女の子もジルバブ(女性が頭から肩にかけてかぶる布)をかぶらない子も多数、お祈りもしない。アパートのようなプライベートスペースならビールも飲む。彼らのムスリム観は、日本人的な感覚においての神道信仰や仏教信仰に近い信仰観を感じた。

元来、インドネシアのイスラムは中東のイスラムとは異なるものとして理解されてきた。
そもそも、イスラムが船に乗ってインドネシア(その頃には「インドネシアという国さえないが」)にやってくる前は、土着の名もなき信仰が各地に根付いていたのであって、その上に表面的にイスラムが布教され、土着のものとイスラムが混淆する形で今日のインドネシアのムスリムが形成された。(どうしてイスラムが受け入れられたのかは忘れた)
だから、一口にムスリムといえど、ビンラディンもいれば、日本人的な宗教感覚に似たムスリムもいる。

なんだか話がすごくずれてしまったが、インドネシアのイスラムに関しては誤解されがちなので注意すべきだ。

で、インドネシアの宗教全体に関して話を戻すけど、インドネシアは、異なる宗教間で結婚ができない。友達にヒンディーとムスリムのカップルがいるのだが、結婚するにはマレーシアや海外に飛ばないといけないという。これにはすごくびっくりした。
少なくとも、多様性の中の統一を目指すなら異なる宗教同士が混ざる方がより政治は容易になるはずだ。イスラム教国のマレーシアがそれを許して、多様性の中の統一とか謳うインドネシアがそれを禁じるのはどうしてか。信じがたい。せっかく大学にいるのでこの辺は聞いてみよう。

それと、最近、日本のとある宗教の会員の方とお話をする機会を得た。
まぁ、あんまり評判のよくない新興宗教といえば大方の人が予測がつくと思うけど、その人の言い分を聞く限りでは、なんだかむやみやたらとイヒされる傾向があるように感じた。
だが、政治団体ももつその組織に関して、政治にまでかかわることに疑問を投げかけると、
「私には私の信じる最良のものがあって、それを実現するためのひとつの手段としてその政党を利用しているだけのことだ」
というようなことを言っていた。
別に普通に仲良くさせてもらっている方だし、気さくに話してもらったのでなかなかわかりやすかった。

インドネシアにはイスラム教の政党なんかもある。
そしてインドネシアには「宗教紛争」と名のつく紛争も発生している。

宗教ってなんなんだ。
一人の人間の宗教を規定するものとは何か。
日本人には宗教がなく、ユダヤ人には宗教があるのか。

インドネシアを見ていると、ほとほと日本はラッキーだったと思う。
宗教とそれに関連付けられる民族ほど対立しやすく、まとまりにくいものはない。
インドネシアは多様性の中で統一できるか。
帰るときまでに、僕なりに答えをだしたいと思う。

乱文をお許しいただきたい。

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