2008-12-08

海外にいるということ

もう12月です。
というか、もう12月も1週たっちゃってるし。

なんと。

こちらでの生活も1ヶ月半が経とうとしております。

(ちっちゃいときにドイツに住んでいたことを除いて)海外で、長期(つっても半年だけど)に渡って生活することが初めての私としては、この時間は自分を再発見するための良い機会になっている。

特に最近は、宗教について考えること、自分の軸について理解することがあった。
この二つは、自分を理解する上で、とってもとっても大事なことだ。
あまりに当たり前で、普通に日本にいたなら気づけなかったと思っている。

ここにきて、自分の宗教を知った。
イスラムとかキリストとかじゃなくて、単純に信仰というか、自分が信じているもの。
その気づきは、ふと僕がイスラムに関しての疑問を友人に問いかけるところから始まった。
僕の友人はムスリムだが、ヒンディー教徒の彼女と長く2年ほど付き合っている。
だが、インドネシアの法律では、イスラム教徒は他宗教の教徒と結婚できないことになっているl。

これに対して、僕は疑問をもった。
結婚したいと思っているのにできないのはおかしいのではないか、と。
それは、宗教が人の欲望とギャップを起こしていて、望ましいものではない。そんなのおかしい。と。
でも、私の友人は、ただ「かまわない」といった。

好きな人とも結婚できない。僕には理解できなかったが、逆に彼らは僕に問いかけた。
「お前は宗教がないのか?何か信じているものは?」

僕が思っていた「宗教」と彼らが考える「宗教」は大きく違っていた。
宗教は、ぼくが考えるよりももっと心の奥底、理性とか感情でもどうしようもない、そういうものだ。
善悪とか正誤の範疇を超えて、ただそれとして存在するもの。
それが、宗教だ。

宗教について疑うことは、その人間を存在自体を疑うに等しい。

そして、僕は自分の宗教を考えてみた。
キリストとかイスラムとか仏陀とかそんな堅苦しいものではなく、単純に僕がそうだとおもっているもの。
僕は見つけた。僕の宗教を。

僕の宗教をここで明かすことはしない。
でも、はっきりと思う。僕は宗教をもっている。
日本人は無宗教だとか言われがちだ。そして自分でもそう思っているのかもしれない。
でも、それは大きなまちがいだ。

日本にだって宗教はある。
3大宗教のようなある形式にそって信じているではなくとも、一人ひとりが心のなかにもち無垢にそうだと信じているものはあるはずだ。

宗教がそういうものだとわかった今、ぼくはより紛争を理解できる。
自分のもつ宗教を自覚しながら、アチェで生きてみる。
アチェでなにが起きたのかを、遅まきながら真摯にみてきたい。

準備はそれなりに遅々としているけれども、
それなりに着々と一歩ずつ進んでいる。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アフリカのインタビュー記事面白かったです◎今更ながら・・・笑
私のためにあるように思います笑
生きる目標がしっかりしている彼らは素敵でした☆結婚はまだしたくないけど笑

宗教、自分の中で何か信じるものがあると強くなれる気が最近します。
先輩は本当にたくさん考えていて、それを言葉にしているのですね。

シンガポールにも行ったりとうらやましい限りです!!
東京は例年よりは暖かいです☆

体にお気をつけて(´U`)